俗世間を離れて、10年以上も山の中にこもって、久しぶりにまた世情に触れてみても、世の中何も変わっていなかった、という話があります。

どんなに交通機関やIT産業が進んでも、今以上に便利な道具が発明され、人間に代わってロボットが仕事をするようになっても、人間の考えることの本質、人間の一番大切な真心や誠実さ、人間の尊厳というものは、そんなに変化するものではない、という意味でしょう。

底辺にある人間性や人格の部分をおざなりにして、英語やフランス語ができても、難しい法律の試験を突破して弁護士になっても、何ら世の中に供することがありません。本当に人を幸福にする士族にはなりえないでしょう。

法律がよく理解できない依頼人をいいことに、赤子の手を捻るがごとく騙して、金儲けをする悪徳弁護士など、人間性の部分に問題があると言わざるをえません。

心の勉強といいますか、人格を形成する教育が軽視されてきました。とにかく、よい学校を出て、よい会社に就職すればよい。そんな時代が長く続いてきました。もう、そんな考え方を抜本的に改める時代に入っています。ペーパーテストで、人間性の良し悪しは解りません。

道徳やよい宗教が、その大事な部分を支えているところもありますが、真にエリートと言われる方々の多くが、道徳や宗教を毛嫌いしています。エリートと言われる方々が範を示さずして、世の中の発展が望めません。そのエリートが次から次へ事件を起こしています。

上に立てば立つほど、反省することが増え、上に立てば立つほど、自分を戒める勉強をする。上に立てば立つほど、己の身辺をきれいにする。これが徳ある真のリーダーでしょう。

明治以降の学校教育で、道徳や宗教を排除した。そのツケが100年後に如実に表面化してきました。今こそ、知も大事でしょうが、本当の意味で、心の時代をもっと強く叫ぶときでしょう。