幸福であるという状態は、どういう状態であって、不幸であるという状況は、どういう状況をいうのでしょうか。これを考えてみたいと思います。

 幸福な人というのは、その人の心の絵、その図柄が、自分の望ましいもので埋まっています。望ましい姿で描かれていると言えます。一方、不幸な人というのは、その心の絵が自分の望ましくないかたちに描かれていると言ってもよいでしょう。

 実は、ここが「幸福」と「悩み」というものを考える一つの鍵でしょう。幸福のことを、あるいは不幸のことを考える際に、人々が通常、悩みと称しているものの実態を知ることが大事だと思います。

 悩みの実態とは何であるかというと、要するに、その人が心に描いている図柄が理想的なものではない状態です。心のなかに本人が願わない絵をいつも描いている状態が悩みであり、この状態が連続していることを不幸と言うのではないでしょうか。

 不幸な人というのは、この悩みの絵が心のキャンパスから消えることのない人です。幸福な人というのは、心の画用紙のなかに、望ましい姿が描き込まれている人です。

 心といわれるものの実体は、様々に説明できるでしょうが、要するに、各人が胸の内にスクリーンを、画用紙を持っていて、この画用紙に、毎日、毎日、何らかの絵を描いています。そして、その描かれた絵の中身が、幸福か不幸かを判定していくことになります。

 したがって、自らの念(おも)いを客観的に点検するという行為が必要になってきます。「どのような図柄がいま描かれているか」ということを見るみる必要があります。

 そうすると、不幸をいつも語り、口にしている人は、心に描いている絵そのものが、絵として見ても美しくないと思えます。

 どうして、これほど汚い絵を描くのだろうか。どうして、これほど崩れたデッサンをするのだろうか。なぜ、これほど灰色の絵の具を使うのだろうか。傍目にはそう思えてなりません。きれいな絵の具がたくさんあるのに、なぜ黒や灰色、様々なくずんだ色を好んで使うのかを尋ねてみたいです。

 その原因は、幾つかに要約されます。

 一つには、挫折(ざせつ)というものがあります。何らかの時点で自分の念いが達成できずに挫折した場合、それをいつまでも引きずっていることがあります。この挫折から導かれるものは失意であり、そうした心の傾向性のまま生きている人がいます。

 また、挫折と関係がある場合もあるし、関係がない場合もありますが、劣等感というものもあります。これも心の絵を暗くしている最たるものの一つです。劣等感から引いてこられるものとしては、自己嫌悪(けんお)や自信喪失というものがあります。劣等感、自己嫌悪、自信喪失、こういう事柄が、自分に、しだいに暗い絵の具を使うようにさせています。

 各自が持っているこうした要素は、何ゆえに出てくるのかを知る必要があります。肉体ならレントゲン写真などで、悪い部分や弱っている箇所を発見できますが、心の状態はレントゲン写真では発見することはできません。コンピューターがいくら優秀でも、人の心の中までは分かりません。いくつかの質問を出して、その人の傾向性を知るところまでいっていますが、心の中に描いている念いまでは分かりません。

 やはり、自分自身で解決していくしかありません。人に相談してみることも一つの方法ですし、心理学専門の先生に診てもらうことも一つの解決方法でしょう。「今、どんなことで悩んでいますか」と優しく尋ねてあげることも解決策の一つになるでしょう。

 しかし、最終的には自分の心ですから、自分自身の力で素敵な想いを、明るい想いを描いていかなくては、自分自身で幸せをつかむことはできません。