「亀の瀬」は、奈良(大和)と大阪(河内)の国境に位置し、奈良盆地の水を一手に集める渓谷地帯の名称です。ここは、4万年前から地すべりが繰り返されてきた難所です。「地すべり」については後ほど説明いたしますが、住所的には大阪府柏原市峠にあり、奈良県三郷町の県境にもあたります。近くには、国道25号線に沿って大和川が流れています。ここに歴史資料室があり、正式名称は「亀の瀬地すべり歴史資料室」と言います。
この歴史資料室には、亀の瀬地すべりの歴史、地すべりのメカニズム、地すべり対策工事の内容などに関するさまざまな展示をしています。亀の瀬の山の中には、地すべりを止めるためにたくさんの杭や排水トンネルなどがあり、地上から見ることはできませんが、排水トンネルの中や昭和7年の地すべりで圧壊(あっかい)したと思われていた旧大阪鉄道亀瀬隧道(レンガ造りの鉄道トンネル)を見学できます。事前予約が必要です。
歴史資料室の中は、事務所、展示室1、展示室2、展示室3と分かれています。展示室1には、亀の瀬トンネルが地すべりで閉鎖された当時と現在の鉄道の様子を比較することができるジオラマ模型の展示を行っています。亀の瀬にまつわるおみやげコーナーもあります。
展示室2は、亀の瀬地区の地すべり被害の歴史や、長年取り組んできた対策工事を知ることができます。また、旧大阪鉄道亀瀬隧道が発見された経緯や、亀の瀬地区でなぜ地すべりが起きやすいかを知るため、亀の瀬の地質などについても紹介しています。
展示室3は、大和川流域に関する情報や取り組みなどを紹介するコーナーです。大和川河川事務所が取り組む事業について紹介しています。
この展示室を自由に見学するのも良いですが、やはり、事前予約されて、ガイドさんの説明を受けながら見学されることをお勧めいたします。現実に排水トンネルの中に入ることができ、ガイドさんの説明で地すべりのことが理解できるようになります。
ところで「地すべり」ですが、ガイドさんいわく「地すべりは、がけ崩れと違います。地中から発生するものです。粘土層などのすべりやすい地層(すべり面)の上部の土塊(つちくれ)が、地下水などの影響をうけ、ゆっくりと動き出す現象です」。がけ崩れはイメージしやすいですが、「地すべり」に関しては、ガイドさんの説明を受けるまでは、全く分かりませんでした。この亀の瀬が、日本の中でも最大の「地すべり」地域だということです。
地質の違いにより、地下水の影響をうけて、土の塊(かたまり)が、ゆっくりと動き出すことだと分かりました。この亀の瀬が地すべりの地域で、四方1㎞の範囲で、地すべりを繰り返してきたわけです。
亀の瀬に位置する東西南北に隣接する地域は、地質が全く異なるため「地すべり」は起きていません。驚きです。地質が異なるため、全く「地すべり」がないわけです。つまり、「亀の瀬」の地域から10㎝離れている地域は、全く「地すべり」が発生していないわけです。
亀の瀬地すべりは、非常に長い活動史を持っています。移動土塊中から発見された木片の年代測定では約4万年前という結果がでており、地すべりはそれ以前から発生していたと見られます。明治以前の地すべりに関する記録は残されていません。明治以降は、おもに明治36年、昭和6~8年、昭和42年に大規模な地すべりが発生し、大きな被害をもたらしました。
特に昭和6年11月の地すべりでは、柏原市峠地区を中心とする約32haに及ぶ山塊が大和川に向かって活動しはじめました。じわじわと大和川の川床が高く盛り上がりました。翌年の7月の豪雨により大和川の川床が9m以上も盛り上がり、河道は完全に移動してしまいました。これによって大和川は完全に閉塞され、上流に浸水被害が発生しました。また、当時の「亀の瀬」地すべり地内を通過していた国鉄関西本線の亀の瀬トンネルも崩壊し、2月から11ヵ月間、約1㎞が徒歩区間となりました。
地すべりの怖さを初めて知りました。
亀の瀬地すべりは、昭和37年から国が最先端の技術で対策工事を行ってきました。60年以上に渡り対策工事が続いています。管轄は国土交通省近畿地方整備局の大和川河川事務所です。いまや地区内の土塊(つちくれ)移動は殆どなくなりました。
歴史資料室は、その地すべりのあった亀の瀬に建築されていますが、安心して見学に行けます。連絡先は、「亀の瀬地すべり歴史資料室(072-978-8165)」です。旧大阪鉄道亀瀬隧道(レンガ造りの鉄道トンネル)の中で撮影される「プロジェクションマッピング」は、必見です。現在のところ、歴史資料室の拝観料も駐車場も無料です。