「世の中には徹底的な悪人はいない」と私は思います。

 みなさんを拒絶するように思える人、みなさんに冷たく当たるように思える人がいても、その人に対して何らかのアプローチをする際には、誠心誠意、臨んでいくべきです。

 そうすれば、たとえその案件においては受け入れられなかったとしても、こちらの人物、人柄というものを相手は必ず認めてくれます。

 そして、その時点では自己実現ができなくても、人柄を認めてもらったことは、どこか違うところで必ず道を開いていくことになります。

 オール・オア・ナッシング(all or nothing)という言葉があります。「すべてか全くの無かのどちらかで、中間的なものがないこと」という意味です。

 世の中の人は、決してオール・オア・ナッシングで人を見ていないものです。「いまは時節が到来していないが、この人はなかなか見どころがある」という見方をしています。一度失敗したからといって、「自分はもうだめなのだ」と思ってしまわないことです。

 通常であれば「もうだめだ」と思うような状況であるにもかかわらず、不撓不屈の精神を持って前進している人に対して、人は見方を変えていきます。

「『この人はせいぜいこの程度の人間だと』と思っていたが、意外な面がある。もしかしたら、なかなかの人物かもしれない」と思うようになるのです。

 アメリカの成功哲学の本に、次のようなことが書かれていました。

 ある人は学歴もなく、就職に有利な条件は何もない人でしたが、ある非常に繁栄しているチェーン店に就職したいと考えました。そして、「自分には情熱しかない」と思い、熱意だけで勝負しようとしたのです。

 そのチェーン店は全部150軒あったのですが、この人はその150軒のすべてに、「自分を雇ってください」と手紙を書きました。「私は何のとりえもない人間です。過去の経験も学歴もありません。しかし、やる気だけはあります」ということを、何日、手紙に書いて、150軒全部に出したのです。

 ところが、どの店からも返事はありませんでした。通常であれば、この段階でギブアップするところです。しかし、すべての店に手紙を出したその人は、「最後は本部に行くしかない」と考えて、本部に乗り込んだのです。

 実は、それぞれの店に送られてきた手紙は、すべて本部に回されていました。そして、本部の人事課の人が、この150通の手紙を全部読み、「この男は必ずここに来る」と思い、待っていたのです。安の定、その人はやってきました。

 そこで、人事課の人は「あなたを待っていたのです。『必ず来る』と思っていました。これが151回目のトライですね」と言ったそうです。

 もちろん、採用になりました。そして、その人は最後にはその会社のトップにまでなったということです。こうした人が実際にいたのです。

 通常であれば、1通目か2通目であきらめ、多くても50通目、100通目で、「もうこんなばかなことはやめよう」と思うでしょう。しかし、その人はあきらめませんでした。

 そして、それを陰で見て評価し、「この男は、最後は必ずここに現れる」と思い、待っている人がいたのです。その結果、その人は成功へと導かれたわけです。

 努力をしても、それが認められる場合と認められない場合があります。また、成功と失敗という姿が現れることもあります。

 しかし、努力したならば、それは何らかのかたちで必ず残っています。オール・オア・ナッシングということはありえません。

 ところが、自分で時間を区切り、勝手に見切りをつけてしまう人がいます。これはオール・オア・ナッシングの考え方です。自分で見切りをつけてはいけません。

「この人は素質は非常によいが、まだこの部分が弱い。その部分を一度、火や水を通さねばならないが、それさえと通れば必ずものになる」という見方もあります。

 ところが、火や水が近づくと退転していく人がいます。ほんとうに惜しいと思います。本人は現状を不本意に思って退転するのかもしれませんが、必ずしも、退転する必要などありません。世の中にはいろんな仕事がありますが、どの仕事に携わる人であっても、上に立つ人は、このような見方をしているものです。