エジソン、カーライル、デール・カーネギーの偉人たちのすごいお話です。

 発明家エジソンは、研究を重ねて、さまざまな特許を取った人ですが、あるとき、彼の研究所が火事で燃えてしまったことがあります。彼は火事の現場に立ち、自分の研究所が灰になってしまったのを知ったとき、「よかった。これでもう一度やり直せる」と言ったそうです。

 英国の思想家カーライルにも似たような話があります。

 彼はあるとき、自分の原稿を読んでもらうため、それを友人に渡しました。ところが、友人はそれを読みおえ、机の上に置いて寝てしまったところ、その家のお手伝いさんが、その原稿をゴミだと思って処分したため、原稿が失われてしまったのです。

 しかし、カーライルはそれを悔やむでも悩むでもなく、また最初から書きはじめたのです。それは完成後に有名な歴史の書物となり、不朽の名著と言われるものになりました。

 どのような困難があっても、もう一度ゼロからやり直せるだけの力、信念がある。たとえ仕事が完成目前でつぶれてしまったとしても、もう一度やり直すだけの根気がある。

「いつでも裸になってゼロから出直せる」という心情の持ち主は強いものです。しかし、ある程度の地位や名誉を得たときに、転げ落ちることが怖くて、それにしがみついている人は、弱く、はかなく、もろいものです。

 エジソンのように、研究所が燃えたときに、「これでもう一度やり直せる」と言えるような人間になろうではありませんか。あるいは、カーライルのように、自分の原稿が失われたときに、もう一回、書き直して、不朽の名著とするぐらいの実力を持とうではありませんか。

 私は、そうした偉人たちの事業そのものより、その心境に大きな感動を覚えます。

「人を動かす」「道は開ける」という名著を書いたデール・カーネギーという人も、そうしたところのあった人です。

 彼は若いころ、小説家を志望していたそうです。ところが、彼が書いた二つの小説は、両方ともボツになり、採用されなかったそうです。以後、彼は小説こそ書きませんでしたが、光明思想や自己啓発思想に関する名著を数多く書いて、世界じゅうの人びとに感化を与えました。

 カーネーギーは自分が小説家になれなかったことを悔いていません。「私はこの道を選べてよかった。『小説家にはなれない』と言われたときは、それが最後通告のように感じたけれども、みごとに立ち直って、思想家や教育家として生きてきた」と彼は言っています。彼は新たな道を切り開いたのです。

「人間、到る処、青山あり」と言いますが、「どのようなところからでも、自分の可能性を切り開いていくのだ」という考え方を持っていれば、苦難や困難はありません。

「ほんとうに追いつめられたとき、どれだけの自己発揮できるか」ということであり、「どのようなことがあっても立ち直っていく」という、不退転の心境を教えていただきました。