基本的には、不正なお金や、予期せずに転がり込んできたお金に対しては、警戒しなければいけません。そういうお金は人生の破滅のもとになるので、気をつけてください。

 しかし、誠実に働いて蓄財したものによって豊かさを味わうこと、自分の努力を自分で認め、そのお金をよきことのために使って、事業なり個人の生活なりを発展させていくことは、悪いことではありません。それは天も喜ぶことです。

 このような気持ちを持っているかどうかで人生の道筋は分かれます。

 この考え方を否定した場合には、貧しくなるしかありません。その貧しさが個人だけのものなら結構ですが、他の人を巻き込んだシステム的なものになりはじめると、大勢の人を苦しめることになります。「貧乏の平等」を求めたり、税金によってお金持ちから収奪する考え方を起こしたりして、人々を苦しめるようになってくるので、よくありません。

 金銭的な豊かさに対して否定的な宗教は数多くありますし、「お金はあの世に持って還れない」ということは、そのとおりです。ただ、金銭的な豊かさは、この世の努力の成果として積み重なっていくものなので、正当な豊かさは、それを喜び、そして、よいことのために使っていくことが大事と思います。

 世の中のためになる仕事をして、その事業が大きくなっていくことは、悪いことではありません。大勢の人を養えるようになることも、悪いことではありません。

 このあたりの考え方を外さないでください。ここを間違えると、誰もが貧しくなっていくだけ、過去に戻っていくだけになります。

 釈尊もイエスも、その辺については充分に説ききっていません。現代とは時代があまりにも違いすぎるので、過去の教えをストレートに現在に活かすわけにはいきません。

 お金があると、さまざまな面で時間効率がよくなることは事実です。お金があることによって、いろいろなことが短時間でできるようになり、人生の時間をかなり節約できます。その点については肯定的に捉えたほうが良いです。また、お金があると、多く方を幸せにできます。社会的な寄付などを通じて、世の中に貢献もできます。

 お金に関する宗教の戒めとしての教えも大事なことですが、正当なお金儲けは、けっして悪いことではありません。むしろ、そのことによって経済が発展し、世の中の善いことに使われるお金は称賛すべきです。金銭的な豊かさについて、きとんとした考え方を持っていることは、成功の一つの道筋だと思います。