世の中には成功論は多くありますが、ここでのお話は、我利我利亡者にならない成功論のお話です。

 小説家の幸田露伴は、成功していく過程においては、「惜福(せきふく)」「分福(ぶんぷく」「植福(しょくふく)」の考え方が大事であると述べています。

 惜福とは、「一時的な成功に驕(おご)ってしまわない」ということで、あるいは、「急にお金が入ったり儲けがあったりして、それを見境なくパッと使ってしまったり、先のことを考えずに放漫な経営をしたりしてはいけない」ということです。福を大事に大事にしていきます。

 分福とは、「他の人々をも、その富の恩恵にあずからせるようにしていく」ということです。

 植福とは、「いま使いたいお金や財産その他のものを、全部、使ってしまうのではなく、例えば、将来のために蓄えていったり、十年後、二十年後、三十年後、五十年後のために投資をしていったりする」ということです。

「江戸っ子は宵越しの金を持たない」と言われます。しかし、「全部パッと散らしてしまえばよい」というものではありません。

 植福は、いわば植林のようなものでしょう。お金は、消費財を買ったりして、すぐさま使えるものに換えたいものですが、そうするのではなく、何十年かあとのために「植林」をするわけです。

 植林をすると、その木を伐採し、売って収入にすることができるのは、三十年後や五十年後です。場合によっては、自分の代ではなくて、子や孫、曾孫の代になります。百年後、二百年後のために苗木を植えていくことになります。そのように、植福とは、「いま手にしたものの一部を、将来のことを考えて使っていく」ということです。

 この「惜福」「分福」「植福」の考え方は、成功論の基礎として大事なものです。

「自分は成功した」ということは、「自分は何らかの福を手に入れた」ということを意味します。福とは、幸福の福であり、福運の福です。その福を惜しむ「惜福」、その福を分配する「分福」、その福を将来のために植える「植福」が大事だと思います。