先日、堺市の大仙公園内にある堺市博物館と、その隣にある仁徳天皇陵古墳に行ってきました。博物館の売店で「古墳のなぜ?なに?」という冊子を購入しました。古墳に関する疑問をQ&Aで記載されている小冊子で、楽しく面白く、古墳のことが学べます。その中から引用させていただきます。

 堺市にはたくさんの古墳があります。なかでも堺区大仙町にある仁徳天皇陵古墳は日本最大の古墳です。前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)という形をした有名な古墳です。

 周りを囲む濠(ほり)を含めると、甲子園球場が12個も入ってしまいます。エジプトのピラミッドよりも大きいとのことです。また、仁徳天皇陵古墳の周りには、大小の古墳がたくさん集まっています。それらを含む百舌鳥(もず)周辺の古墳の集まりを「百舌鳥(もず)古墳群」といいます。令和元年(2019年)7月に世界遺産になりました。

 古墳とはいったいなんでしょう。小冊子には、次のように書かれています。

 古墳は土を盛って造ったお墓です。現在は、木や草が生えて山のようになっていますが、造られた当時は、下から上へ段々に積まれた形をしており、段の平らな面には埴輪(はにわ)が置かれ、斜面には葺石(ふきいし)がしきつめられていました。古墳の土盛の部分を「墳丘(ふんきゅう)」とよびます。日光に照らされて葺石(ふきいし)が白く光り、たくさんの埴輪(はにわ)が並んでいる光景はとても不思議なようすだったでしょう。

 古墳の中には、亡くなった人「被葬者(ひそうしゃ)」を埋葬する棺(ひつぎ)をおさめます。棺が、石の部屋を造っておさめる場合や、粘土でおおう場合があります。棺の内外には、鏡や玉、甲冑(かっちゅう)、剣、馬具などがいっしょにおさめられました。これらを副葬品(ふくそうひん)といいます。

 古墳を調べると、当時の政治や社会のしくみ、生活のようすなどを知る手がかりが見つかります。古墳がさかんに造られた3世紀ごろから6世紀の終わりまでを「古墳時代」といいます。

 私が住んでいる柏原市の周辺である藤井寺市、羽曳野市にも、たくさんの古墳があります。

 奈良時代前までは、天皇さんが亡くなると、その住まいを古墳にされていたようです。奈良時代のあとは、古墳はないようです。

 ところで、大仙公園は非常に大きな公園で多くの木々が植わっていますので、新鮮な空気が吸えて、散策されるには最高の公園だと感じました。食事するカフェレストランもあります。公園内にある博物館では、仁徳天皇陵古墳のビデオを見ることもできます。

 何より、公園の中を歩きますので、健康にも良いと思います。普段の疲れを新鮮な空気が癒してくれます。何回も行ってみたい公園の一つになりました。お勧めです。