渡辺和子さんのベストセラーに「置かれた場所で咲きなさい(幻冬舎)」を電車の中で読んでいました。第4章の「九年間に一生分の愛を注いでくれた父」の箇所で、涙が溢れてきて、涙、涙、涙でそのページを濡らしてしまいました。

 渡辺和子さんのお父さんは、1936年(昭和11年)2月26日に起きた「二・二六事件(ににろくじけん)」で、犠牲になられた「渡辺錠太郎(わたなべじょうたろう)」氏で、当時は陸軍教育総監でした。和子さんが九歳の時です。

 二・二六事件は、東京で起きたクーデターです。陸軍の皇道派(こうどうは)に青年将校22人が、約1,500人の部隊を率いて武力蜂起(ほうき)した出来事をいいます。この事件が起きた背景は、世界恐慌後の経済格差の広がり、陸軍内部の派閥争いが原因と言われています。ここでは、二・二六事件に関連する渡辺和子さんのお話です。

長くなりますが引用させていただきます。お許しください。

「事件当日は、父と床を並べて寝(やす)んでおりました。七十年以上経った今も、雪が縁側の高さまで積もった朝のこと、トラックで乗りつけた来た兵士たちの怒号、銃声、その中で死んでいった父の最期の情景は、私の目と耳にやきついています」。

「私は、父が陸軍中将として旭川第七師団長だった間に生まれました。九歳までしかともに過ごしていない私に、父の思い出はわずかしかありません。ただし、遅がけに生まれた私を、『この娘とは長く一緒にいられないから』といって、可愛がってくれ、それは兄二人がひがむほどでした」。

「軍務を終えて帰宅する父を玄関に出迎え、飛びつくのも、私の特権でした。そんな私に、軍服のポケットにしのばせてきたボンボンをそっと父は渡してくれました。和服に着替えてからは、私を膝の上にのせ、小学校で習っていた論語を一緒に読み、易しい言葉で意味を教えてくれる父でした。読書を何よりも大切にしていた父にとっても、嬉しいひと時ではなかったと思います」。

「寡黙な人でした。ある日のこと食事で、ふだんは黙っている父が、私たち子どもに、『お母様だって、おいしいものが嫌いじゃないんだよ』といった、そのひと言が忘れられません。母がそっと子どもたちの方に押しやってくれた、おいしいものを、さも当たり前のように食べている私たちへの、父からの注意であり、それはまた、日夜、子どもたちのために尽くしている母へのいたわりとねぎらいの言葉だったのだと思います」

「努力の人でした。小学四年までしか学校に行かせてもらえなかった父は、独学で中学の課程を済ませ、陸軍士官学校を優秀な成績で入学、さらに陸軍大学校では、恩賜(おんし)の軍刀をいただいて卒業したと聞いております。決して自慢をする人ではなく、これらはすべて、父の死後、母が話してくれたことです」

「外国駐在武官として度々外国で生活した父は、語学も堪能だったと思われます。第一次大戦後、ドイツ、オランダ等にも駐在して、身をもって経験したこと、それは、『勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない』ということでした」。

「『俺が邪魔なんだよ』と、母に洩(も)らしていたという父は、戦争にひた走ろうとする人々にとってのブレーキであり、その人たちの手によって、いつかは葬られることも覚悟していたと思われます。その証拠に、二月二六日の早朝、銃声を聞いた時、父はいち早く枕許の押し入れからピストルを取り出して、応戦の構えを取りました」。

「死の間際に父がしてくれたこと、それは銃弾の飛び交う中、傍で寝ていた私を、壁に立てかけてあった座卓の陰に隠してくれたことでした。かくて父は、生前可愛がった娘の目の前一メートルのところで、娘に見守られて死んだことになります。昭和の大クーデター、二・二六事件の朝のことでした」。

「『師団長に孫が生まれるのは珍しくないが、子どもが生まれるのは珍しい』このような言葉に、母の心には私を産むためらいがあったとは、私が成長した時、姉が話してくれたことでした。そしてその時、『何の恥ずかしいことがあるものか、産んでおけ』といった父の言葉で、私は生まれたのだとも話してくれました」

「もし、そうだとすれば、三十余名の敵に囲まれて、力尽きた父が、ただ一人で死んでいかないために、私を産んでもらったのかもしれないと思うことがあります」

「父と過ごした九年、その短い間に、私は一生涯分の愛情を受けました。この父の子として生まれたことに、いつも感謝しております」

 この記事を書きながら、また涙がこぼれてきました。

 二・二六事件に関しては、教科書で習ったぐらいで何も知らない自分でしたが、著者の渡辺和子さんの実体験を拝読して、ただただ涙する自分がいるだけでした。どのように表現したら良いのかも分かりません。私みたいものが表現するには「おこがましく」恐れ多いとも考えます。

 このような生々しい経験をされた和子さん。また、和子さんの努力精進にも感動するものがいっぱいあります。多くのことを教えてくださいます。だからこそ、多くの人々を「幸せにされる」書籍をたくさん残され、その功績は大きく、後世に伝えていかなければなりません。

 渡辺和子さんに感謝です。ありがとうございます。