D・カーネギーの「人を動かす」を久しぶりに読み返していました。
第二部第一章「誠実な関心を寄せる」の箇所で、自分の過ちを知らされました。そのくだりは、次のように書かれていました。
「他人に示す関心は、人間関係の他の原則と同様に、必ず心底からのものでなければならない。関心を示す人の利益になるだけでなく、関心を示された相手にも利益を生まなければならない。一方通行ではなく、双方の利益にならなくてはいけない」。
まさに、私の手紙はいつも「一方通行」でした。相手の方への関心や思いやりは皆無とは言えませんが、いつしか儀礼的になっていました。そうか、「ただ書くだけでなく、相手の方の利益も考えて書くのだ」「相手の方の事を心の底から思い書くのだ」と知らされました。
いつも、相手の方の顔を思い浮かべながら書いていたつもりですが、いつしか儀礼的になって、自分の事ばかり書いていたことを思い出し反省しました。まさに一方通行の手紙でした。いつも「一方通行のお手紙で失礼します」と書いていたこともありましたが、相手の方へ関心を示していたとは言えません。まさに儀礼的です。
最近で言えば、初めての本を出版して嬉しくなって、多くの方に読んでいただこうと思って、お手紙を添えてお送りしました。その内容は、「本を紹介してくださいね」「お知り合いや会社の方に購入してもらってください」と、自分の事ばかりでした。相手の方の利益になる事や思いやりを持って書いていませんでした。通り一遍で、「〇〇様、ご家族様のご健勝、ご多幸をお祈りいたします」とか、「〇〇会社の繁栄発展を願っています」というふうに書いていました。心を込めて書いているつもりですが、いつしか儀礼的になっていました。
カーネギーの「誠実な関心を寄せる」箇所を何度も再読し、今までの手紙の書き方を猛反省しました。これからは、相手の方に関心を寄せながら、相手の方の利益になる事も考えながら、心を込めて書くように決意しました。決意し、行動に移し、実践していきます。
過去に自分が感動した書籍を友人知人にお送りした事も反省しました。この時の手紙こそ、一方通行そのものでした。なるほど、自分は感動した書籍かも知れないが、自分の勝手な思い込みで、相手の方の趣味嗜好も全く考えずに一方的に送っていました。
相手の方にすれば、甚だ迷惑かも知れません。確かに自分は感動したかもしれないが相手の方は必ずしも感動されるとは限りません。また、全く興味がないかも知れません。相手の方に関心も持たず、相手の方の利益になることも考えずに送っていたのですから、当然と言えば当然です。
これからは、相手の方の事をよく考えて、相手の方に相応しい書籍を贈ろうと思いますが、その時には、必ず「お気にめさない時はお許しください」とかの文言を添えて、贈るようにしようとも思いました。一方通行にならないように心掛けるつもりです。
私こそ、「論語読みの論語知らず」になっていました。恥ずかしい限りです。