兵站(へいたん)という言葉があります。元々、軍事用語ですが「戦場の後方にあって,作戦に必要な物資の補給や整備・連絡などにあたる機関」を意味します。

 もう一つ「兵站線(へいたんせん)」という言葉もあります。「戦場において物資の輸送・供給などを行うため確保される連絡路」を意味します。簡単に言えば「戦場と兵站部を結ぶ輸送路線」になります。転じて、物流全般、または災害が発生した際などに被災地へ支援物資を送り届けるための交通手段などを指すこともあります。

 カーネギーの「道は開ける」を50年ぶりに読み返していたら、この「兵站線」という言葉が出てきました。第八部「私はいかにして悩みを克服したか」の実話31編の一つに「私は常に兵站線を確保した」という箇所です。

「大抵の悩みは家族と金銭についてだと思う」という文章で始まり、「軍事専門家は、戦争で何より大切なことは兵站線の確保であると言っている。この原則は、戦争と同様、個人の戦いにも適用されると思う」と述べています。

 カーネギーは、「鉄道の仕事は経済的に安定いていると考えていた。だから私はいつ何時でも、その仕事にもどれるように手を打っておいた。それが私の兵站線だ。そして私は、新しくもっと良い仕事を確保するまでは決してこの兵站線を放棄したことがなかった」と表現されています。

兵站線を常に確保しておくことの大切さを力説されています。

 人生の途上における「兵站線を確保する」ことに、改めて再認識しました。私の「兵站線」は、やはり行政書士の仕事です。高校生の頃から小説家になりたくて、少しは努力をしたつもりでしたが、24歳頃に自分には才能がないと諦めました。

 今から思えば、大した努力もしていない、お粗末なものでした。この事を裏付けるような文章に出会いました。枡野俊明著「禅が教える人生の答え(PHP文庫)」の一節に「道を間違えたのならば、引き返せばいい」という箇所です。引用いたします。

 小さい頃から絵を描くことが好きで、絵を描く仕事をしたいと思っていたが、「絵で生活ができるはずはない」と決めつけて、本意でない仕事に仕方なく就いた。そこで、ある著名な画家の話が書かれていました。

「絵なんかじゃ食えない。世間の人たちはそう口をそろえていいます。でも、もし絵で生活ができないとすれば、この世から画商は消えてなくなるはずです。ところが現実的には画商という職業はなくなっていませんし、世界中に画家として生活している人はたくさんいます。つまり、絵なんかじゃ食えないという言い方は間違っている。正確にいうなら、あなたの絵では食えないということになるのです。だから私は、食えるような絵を描くために必死に努力をしてきたのです」と。

 この箇所を読んで、必死に努力もせずに「自分には才能がない」と小説家になることを諦めた自分が恥ずかしくなりました。まさにその通りだと痛感しました。

 しかし、小説家を諦めた当時、私なりの「兵站線」と言えるかどうか分かりませんが、行政書士という仕事を選択したわけです。開業以来43年目に入りましたが、長い間、本を出版することだけは諦めませんでした。それが、令和6年11月に実現しました。

 もちろん、小説家になれなかった事を悔いてもいませんし、行政書士という仕事を通じて、多くの学びもありましたし、多くの方々にお世話になり育てていただきました。結果的には、私の場合には、行政書士の仕事が「兵站線」になっていたように感じました。

 翻って、会社経営においても、一つの事業だけでなく、この事業だけは負けない「兵站線」を確保されることが重要です。一つだけなく二つ三つの兵站線を出来れば最高ですね。

 家庭においても、いざという時のために貯蓄を形成していくことも、一つの兵站線だと思います。子どもさんの受験に際しても、複数の兵站線を確保しておけば、志望校の戦略にも使えそうですね。

 兵站線を確保するということは、身近なところにいくらでもあると思いますが、ご自分の人生を歩んでいく上でも、大切な考え方だと改めて教えて頂きました。