苦しみや悩みがない人はいないでしょう。しかし、その苦しみや悩みは必ず解決できるようになっています。それらはある意味、人生の問題集だと私はいつも捉えています。
確かに、人間関係や経済問題で悩むことが多くあり、そのたびに辛い想いや悲しくなって人間をやめてしまいたいと思うこともあるでしょう。それがストレスで病気になる方もあるでしょう。しかし、想い留まってください。
人間は生まれて来る前に、自分自身で自分の人生計画をたてて生まれてきます。偶然に生まれてきません。自分の両親になる方も、自分が希望して両親になってもらっています。どのような人生を通じて、自分が成長するか。どのような困難を克服するか。この世に命を受けた意味を教えてもらえるために生まれて来るのだと思います。だから、「人生は一冊の問題集」と言われる所以でしょう。
「今、自分の目の前に起きている現象は、すべて、起きるべくして起きているのだ」ということを受け入れてください。神様仏様が意地悪をしようとしているからではありません。自分自身が人生計画をたてて生まれて来るからです。だから解けない問題集はありません。必ず、努力すれば解決できます。
その問題集は、人それぞれ違います。その方に相応しい問題集です。その人に与えられた問題集です。ある意味、その人に求められている問題集ですので、その苦しみや悩みは、人それぞれでしょうが、必ず、解けるようになっています。
人生の途上において、苦難困難が来れば、じたばたするのをやめ、判断を下すことをやめて、静かに受け入れてください。
受け入れたときに、浮力が湧いてきます。生きていく力がグーッと湧き上がってきます。その時に奇跡が訪れます。
それまでは、自我力で頑張っていながらも、非常に苦しみ、世の中が地獄に見え、「自分は地獄の底であがいている」と思っていたのに、実は、そうではなかったことが分かります。どうか「大いなる力に委ねよう」という気持ちを持ってください。そうすれば、気づかないうちに、自然に救われていくでしょう。
「苦しみは、魂を鍛えるための大いなる慈悲」だと分かる時がきます。すべては大宇宙の意志の下にあり、自分一人で動かせるものなど、ある意味で何もありません。
「この世に生かしていただいた。生まれさせていただいた。この世で人生修行をさせていただいた」ということは、ありがたいことです。本来、それ以上、何も求めてはいけないのです。
自我力によって、自分の力によって、「自己防衛しよう」と思っているうちは、奇跡は起きません。自分の知識や経験、判断、善悪の分別力などによって問題を解決しようと思っているうちは、奇跡は起きません。ところが、大宇宙の心と一体になり、自分の身を委ねたときに、奇跡が起きてきます。一日に十五分でもよいので、そうした瞑想(めいそう)の時間を取ってみてください。
自分の計らい心で、いろいろな問題を解決しようとすることを、いったん、やめて、「ありのままに受け取ろう」という気持ちになってください。不思議ですが、その時には、自分の問題集は解けています。
自分はなんて小さなことで悩んでいたのだ。こんなつまらないことで悶々としていたのかと、必ず気づく時がきます。そうです。すべては与えられています。生かされています。生かされている自分かあるからこそ、人生は楽しいのです。生きる勇気が湧いてきます。