年に一度か二度、宇宙のことを考えることがあります。

 なぜ、宇宙があるのか。なぜ、地球があるのか。なぜ、世界があるのか。なぜ、太陽があるのか。なぜ、人間があるのか。なぜ、我々は生きているのか。生かされているのか。

 その答えは、神様に尋ねてみないと分かりませんが、この宇宙があるということは、必ず、神様の予定されている想いというものがあるように思います。それは神様の「与えきりの愛」ではないでしょうか。神様は「愛」を持って、この宇宙を、この地球を、そして、私たち人間を創ってくださったのではないでしょうか。私はこのようにいつも思っています。

 なぜならば、この「愛」という言葉を深く感じたときに、宇宙のこと、地球のこと、人生のこと、人間についての「なぜ」という疑問に答えてくれるような気がするからです。

 そうでなければ、私たちが生かされている糸口が見つかりません。いかに科学万能の世の中になろうと、いかに医学が発達しようと、ロボットが人間に代って仕事をしようと、宇宙創造の答えは、科学的に解明できません。

 偉大な神様が、宇宙や人間を創ってくださったということは、私たち人間は神様の子供になります。だからこそ、神様の「愛」を大切に裏切らないように生きていかなければならないのではないでしょうか。そうすると、神様の子供なら、人類は皆兄弟みたいなものでしょう。普段は、他人として人間関係を築いていても、元々はみんな神様の子供ですから、みんな他人ではなく親戚みたいな存在だと理解できます。

 神様が私たち人間をいつも「愛」でもって包んでくださるなら、人間である私たちも、愛でもって、隣人を愛し、友人知人を愛し、多くの方を愛していかなければなりません。大いなる愛に包まれてことで分かるとおり、神様は、私たちに与えきりの愛でもって、いつも人間である私たちを育んでくださっています。

 このように感じとれば、このように理解すれば、奪う愛ではなく、与える愛が大事であることが分かります。人間関係においても、与える愛の重要性が見えてきます。相手を理解しようとする気持ち、相手への思いやりの大切さが腹に落ちます。与える愛がいかに大切かを教えてくれます。

 眠る時に、このようなことを考えることがあります。普段は、与える愛を忘れていることの方が多いのですが、ふとした瞬間に不思議ですが、天使が降りてきて、教えてくださっているように感じます。

 人間関係で一番大切なことは、相手を理解しようとする努力や、相手への思いやりが先にあります。与える愛の重要さが心の中に染みわたります。人の悪口や嫉妬心は、自ずからよくないものと理解できますし、「与える愛」の意味が少しばかり理解できたように思います。

 私は、長い間、この「与える愛」の気持ちになれませんでした。しかし、これからは少しでも「与える愛」を実践していこうと決心しました。