古墳と関連するのが埴輪(はにわ)です。
堺市博物館の売店で「ハニワ大解剖 埴輪の謎を解き明かせ!」という冊子を購入しました。埴輪(はにわ)に関する疑問をQ&Aで記載されている小冊子で、楽しく面白く、埴輪のことが学べます。その中から引用させていただきます。
埴輪とは、古墳の墳丘(ふんきゅう)や堤の上に立て並べられる素焼きの焼き物です。大きく分けて筒の形をした円筒埴輪(えんとうはにわ)、物や動物などの形を表現した形象埴輪(けいしょうはにわ)があります。
円筒埴輪は、墳丘や堤を一周ぐるりとめぐるように並べられます。形象埴輪は、墳丘の頂上、造り出し、堤などに並べられます。
埴輪の特徴や、種類は時期によって違います。これらを調べることで、埴輪が作られた時期(古墳が造られた順番)を推測することができます。
埴輪は、古墳時代の墓である「古墳」に立て並べられたものです。古墳時代は3世紀中ごろから6世紀終わりごろの約400年間続きました。400年間で、埴輪は種類や形が変化しています。
なぜ「埴輪」が作られたのか。
「埴輪」の起源は、日本書記に載っています。垂仁(すいじん)天皇の弟が亡くなったとき、お供の人がお墓に一緒にうめられました(殉死といいます)が、泣きさけぶ声が何日も聞こえるので、天皇は心をいためました。後に皇后が亡くなった時、家来が殉死するのは悲しいので、どうするか考えたところ、野見宿禰(のみのすくね)という人が、土を取って、人や馬、様々な物の形を作って、天皇に見せました。天皇が「今後、この土でできた物を生きている人の代わりにお墓に立てることを決まりとしよう」と言ったので、この土の物を埴輪、または立物(たてもの)と名前をつけました。これが埴輪の始まりと言われています。
しかし、埴輪の研究が進むと、実際に最初に作られた埴輪は、円筒埴輪や壺の埴輪であることが分かりました。その後、家、鳥、馬など様々な埴輪が作られ、人の埴輪はずっと後に作られます。そのため、この内容は真実ではないと考えられるようになりました。
何が真実がよく分かりませんが、個人的には、長い間、お墓を護る魔除けみたいなものだと勝手に思っていました。
それにしましても、円筒埴輪は、墳丘や堤を一周ぐるりとめぐるように並べられます。と、博物館のビデオで知りましたが、当時の天皇さんの偉大さを感じますね。堺市博物館に行って、埴輪のなぞが少し解けましたが、すっきりとしません。やはり、専門家に教えてもらうしかありません。
いずれにせよ、「百舌鳥(もず)古墳群」が、令和元年(2019年)7月に世界遺産になったことは、埴輪も含めて、日本固有の遺産だと痛感しました。