私は商業高校を卒業して、夜間大学に通いながら、会計事務所に就職しました。税理士の資格を目指して、約10年ほどお世話になりました。

 しかし、資格取得のためにまともに勉強したことがありません。相変わらず、本ばかり読んでいました。その後、就職先を転々し、自分自身でもあきれるほど、サラリーマンに向いていないことを悟りました。

 宮仕えに向かない自分は、一人でも出来る仕事を模索していました。多少なり経営のことが好きでしたので、しばらくは経営コンサルタントの真似事をして生計を立てていました。既に結婚もしていましたので、最低限の生活費を稼ぐために、それなりに充実した2年間でした。しかし、妻の実家から「もう少し、ちゃんとした会社に就職してください」という暗黙の声が聞こえてきました。そこで、大学時代の恩師の紹介で、某商社に就職することができました。それで一件落着をみたのですが、やはり、宮仕えの嫌さもあり長続きがしませんでした。その商社は非常に良い会社でしたが、1年程度で辞めてしまいました。

 商社勤務中も、自分の将来について模索していました。そこで、当時一番やさしい国家試験を探しました。宅建業の取引主任と行政書士の試験が、比較的簡単に取得できることを知り、不動産業に全く興味がありませんでしたので、行政書士試験を選択しました。

 当時は大きな本屋に行っても、行政書士試験の書籍は殆どありませんでした、梅田の本屋に一冊だけあり、それ購入して試験内容を検討しました。当時の行政書士試験には、課題に答える作文問題があり、これなら自分にぴったりの試験だと決意し、受験することにしました。幸いにも通信講座も一つだけあり、その資料で受験勉強を開始しました。

 憲法、民法、商法等の専門科目も、一般教養科目の理科、数学、社会、国語も択一式でしたので、さほど苦労はしませんでした。今ほど難しい試験内容ではなかったからです。作文問題は、一昨年が「地方の時代について述べよ」、昨年が「国際婦人年について述べよ」でした。自分が受験する年は「国際障害者年」でしたので、山をはって下準備をしました。見事、課題が当たり、作文問題もスムーズに回答ができ合格できました。44年前のことです。

 しかし、当時の行政書士専業で飯を食っている方は皆無で、他士業の兼業者が多く、行政書士一本で独立開業される方は、めずらしい方でした。私も独立開業に悩み、恩師を始め友人知人の十数人の方に相談を持ちかけました。ところが誰も「行政書士で飯が食えるか」の一点張りで反対者ばかりでした。特に父親は猛反対でした。

 ところがたった一人賛成してくれたのは、母親でした。「おまえなら、やっていける。受からない試験を追いかけるより、受かった試験から独立したら。おまえなら出来る」と背中を押してくれました。母親の一言で、独立を決意しました。

 母親は、宮仕えができない私の性格を見抜いていたのでしょう。今から思えば、この時ほど母親の愛というか、厳しい母親でしたが母親(女性)の強さを感じたことはありません。今でも母親に感謝しています。母の愛は、どこまでも強く深く、本当の優しさを知りました。