自らの劣等感を、ほかの人に対する「勇気の原理」として使っていくこともあります。

 例えば、松下幸之助さんなどは、自分が小学校中退であることを隠さずに、繰り返し繰り返し語っていました。

 そういう人が会社を大きくして、とうとう高卒の人を使えるようになり、次に、高専卒の人を使えるようになり、大卒の人が使えるようになり、ついには一流大学の技術者も入ってくるようになりました。実に不思議なことですが、それを隠すことなくやっていたのです。

 本来、嫉妬心や劣等感を感じてもしかたのないようなところを、むしろ、社員がみな、自分よりも偉く見えていたため、「こんなに偉い人に大勢来てもらって、本当に助かる。ありがたい。」という気持ちを持って、人を使っていました。

 稲盛和夫さんにも多少そういうところがあります。

 旧制鹿児島中学を受けて落ちたり、阪大を受けて落ちたりして、学生時代は劣等生だったようですし、会社の入社試験でも、当時の主な電機メーカーは殆ど落ちてしまい、周囲の人たちが知らないようなところに入っています。そこで何年間か頑張ってから独立するときに、自分についていきたいという人がいたので、会社をつくって大きくしたのです。

 その後、稲盛さんは京セラをつくり、第二電電(現KDDIの前身)をつくり、そして、JALの再建に取り組んだことなどがよく知られています。

 稲盛さんも、そうした劣等感を持っていたことを明らかに開示しながら、「そういう自分でもここまで成功できたのだから、私よりも秀才の人たちは、もっとできて当然ではありませんか」というように、「勇気の原理」を与えています。

 これも客観的、社会的に見て、一定以上の成功がなされた場合には、美談に変っていくことがあるわけです。

 しかし、そこまで到達していない場合は、単なる自己卑下になったりすることもあるので、その加減はとても難しいところがあります。

 ただ、こうしたマイナス感情も上手に使えば、ちょうど百メートル走のときに使うスターティングブロックのようなもので、反動を使って速度を増すチャンスになるので、やはり、その劣等感や嫉妬心と思えるものをスプリングボードとして、プラスに転じていくことを考えるとよいでしょう。