時代はどんどん変化しています。

 人生そのものが長くなり、終着駅までが長くなってきている状況のなかでは、本当に、よほど心してかからないといけません。「人生六十年だ」と思って生きていたら、実はもっともっと長く、あとに大変な時代が待っていることがあります。今から、もう少し、延長戦まで考えておく必要があります。

「野球は九回までだ。九回さえ投げ切れればいい」と思って投げていたら、「延長戦になって十八回まであった」というようなこともあるわけで、これでは肩が壊れてしまいます。いちおう、そのくらいの体力も計算しておかないといけないわけです。

 そういう意味で、人生の前半には、自分の職業を決めるような何かを勉強するでしょうが、中盤戦からあとは、壮年期から中年期、熟年期、それから晩年期を生き延びていくための「次の仕込み」にかかっていかないと、なかなかうまくいかないところがあると思います。

 これは、なかなかつらいことです。昔取った杵柄で、過去に身につけたものでずっと行きたいところですが、残念ながら、二十歳前後の若いころに身につけた学力・能力等で、その後、六十年、七十年、八十年と生き続けるというのは、簡単なことではないと思います。

 若い人の場合、最初は、まず何かで道を拓かなければしかたがないので、自分が専門とするところ、「強み」のところで一生懸命に勉強し、他人より少しでもいいものをつくったり、提供できたり、サービスできたりすることによって、評価されるようにするのは大事なことです。しかし、途中から変化が出てくるため、「何度でも自分をつくり直す癖」をつけなければいけません。

「勉強というものは、若い時代だけで終わる」と思っている学校のシステムや先生がたの考え方では、ここがなかなか超えられないところです。

「実社会に出てから、もう一度、勉強し直さなければいけない」というのは、実はつらいことではありますが、やはり、勉強し直した人には、し直しただけのものが出てきます。若いことと比べれば、早い遅いの差はあるかもしれませんが、それでも、「取り組んだ分だけ、少しずつ何かが違ってくる面はある」と思います。