「あの社長には人徳があります」「徳のある方は器が大きい」という徳のお話です。
徳というものは、生まれつき持っていません。人間が生きていく過程で生じてくるものであり、後天的なものです。
それでは、徳はいったいどこで生まれてくるのでしょうか。それは、何十年かの人生のあいだに生まれてくるものだと思いますが、果たして、どのような時に徳が生まれてくるのでしょうか。
大きな徳が生まれる時には、二つあります。
一つは挫折のさなかです。失敗のさなか、逆境のさなかです。ここに徳が生まれます。もう一つは成功のさなかです。この二つが、徳のいちばん生まれやすいところです。もちろん、これ以外のところでも小さな徳は生まれてきますが、大きな徳は、この二つのところで生まれてきます。
まず、挫折のとき、逆境のときに、なぜ徳が生まれるのかを考えてみましょう。
逆境のときに不遇をかこつのは、普通の人間です。ところが、逆境のときにあっても、不遇をかこち、不運を嘆くだけでない人間がいるのも、私たちの知っているところです。
たいていの人は、失敗をすれば、「運が悪い」「これは環境が悪かった」などと言います。人のせいにしたり、いろいろなことのせいにしたりします。いずれにしても、逆境のときや挫折のときに、その重圧に耐えかねている人が大部分です。
また、もう少し心の高い人もいます。単に逆境に打ちひしがれるのではなく、逆境を何とか認めよう、受け入れて耐えていこうとします。逆境を受け入れて、それに耐えようとする人は、平凡な人より上かもしれません。その上には、逆境にあっても、楽天的に朗らかに生きていこうと努力する人もいるでしょう。
しかし、逆境において、本当にいちばん偉い方というのは、常勝思考を持っている方です。
逆境のなかにおいて、大きな天意、天の意志というものを読みとり、「この逆境が、この挫折が、自分に何を教えんとしているのか」を読みとります。いや、読みとらねばなりません。
この天意、天の心を読みとり、「自分にいま必要なものは何なのだろう。いったい、この挫折や苦難は、自分に何を教えようとしているのか」。この部分を読みとって、その後の自己の人格形成、その後の行動の成功原理に持っていける、こうした体験のある人には、徳というものが生まれてきます。そこに非凡な力が輝いているからです。
苦難のとき、失意のときに耐えるということだけでも非凡ですが、本当に非凡な人というのは、そのなかに天の意志を読みとって、自分をさらに生かしていく積極的な種を見出し、その種を育てていきます。それが本当の非凡であり、そこに徳が生まれます。
徳が生まれる時のもう一つは、成功のときです。
世に名を遺す人は、やはりどこかで成功体験があります。いくら失敗が連続したとしても、最後に成功するなら、どこかで成功体験があります。
リンカーンは、選挙に落ち、対人関係で失敗し、婚約者を亡くしと、いろいろなことがあって挫折の連続であったけれども、最後には大統領になって、華やかな功績を遺しました。もし大統領になっていなかったら、彼は偉人の名簿からは消えていたでしょう。やはり成功はあるわけです。いくら苦労の連続であったとしても、どこかで花咲くことはあるはずです。
この花の咲いたときに、その果実を自分のものとしない気持ちが大事だと思います。そうです。自分の成功としない、成功を私物化しないという気持ちが、大きな徳を生みます。成功を自分のものにし、自分のせいにし、自分の手柄にした人というのは、せっかく成功しても、徳というものが生じてきません。
しかし、この成功のときにおいて、その果実を自分のものとしない、成功を私物化しない人はどうなるでしょうか。「これは、他の方がたの力、あるいは天意である」と思ったならば、その人はいったいどうするでしょうか。それは、その成功をより多くの人びとのために役立てようとするはずです。ここに徳が生まれます。
みなさんの人生はいろいろでしょうが、この二つのところで徳というものは生まれてきます。徳は後天的なものです。どのような小さいものでもいいから、何らの徳というものをつくってください。そうであってこそ初めて、「人生に勝利した」と言えると思います。