人間の想念というものは、実は非常に大きな力を持っています。それは、まさしく、「物理的な力を有している」と言ってもよいかもしれません。この想念の力というものを説明するならば、まさしく、「設計」という言葉に当たるかもしれません。

 家を建てるときには設計図が必要です。設計図なくして家が建つということはありません。

 それと同じように、想念というものは、その人の人生をつくっていくための設計図の役割を果たしています。

 しかも、想念は、単に設計図であるにとどまらず、さらに大きな働きをします。

 すなわち、設計図を書いた段階で、その青写真が独り歩きをし始め、やがて、見積もりをし始め、いろいろな建築工事のための人を呼び集め、そのための資金を集め、そして、自動的に設計図どおりの家を建てていくという力を発揮するようになってきます。

 ある人が家の設計図を書いたとします。

 その設計図を広げておくと、そのそばを通りかかった人が足を止めます。その人は、設計図を食い入るように眺めて、「これは、実によい家である。ぜひ訪ねてみたいものだ」と言い始めます。そして、その人は友人を集めてきます。

 お金を持っている友人や、大工さんを知っている友人などを連れてきます。その人は、「こういう設計図があって、この家を建ててみようと思うのだが、君たちも協力してくれないか」と言います。

 そうすると、お金を持っている友人は、「自分は、その建物を建てる費用の半分は現金で持っているが、残りの半分は持っていない。残りの分は、おれの信用力で銀行から調達してこよう。任せておけ」と答えます。

 別の友人は、「ちょうど、腕のよい大工を知っているから、すぐに話をしよう。そうすれば、今月中にも工事にかかれるに違いない」と言います。

 最初の発案者は、いよいよ、その家を建てたいと思うのですが、「さて、この設計図は誰が書いたものかな」と考えます。

 その人は、設計図の持ち主を訪ねていき、「お金もなく、単に夢だけを持っている一人の若者が、その設計図を書いた」ということを知ります。

「そうか。君が、この設計図を書いたのか。君は前途有望な青年だ。よし、ひとつ、私が協力をして、この希望どおりの家を君のために建ててあげよう」と言うわけです。

 比喩で述べましたが、これは実際にあることです。

 みなさんは、なかなか気づくこともなく、日々、生きているでしょうが、本当は潜在意識が働いて、イメージしていることが実現していきます。

 その人が持っている確固としたイメージが、人々をして感動させるからです。それゆえに、まず、想念というものの力を明確に認めることが大切であると思います。