「愛とは、与えることである」という考え方があります。この「富の法則」においても、まったく同じことが言えると思います。
奪う愛とは、すなわち、他の人々から搾取する思いであり、「他の人々が不幸になっても、自分だけ富めばよい」という考えですが、こうした狭い考えによって自分自身の富が大きくなることはありません。
しかし、世の人々を潤(うるお)そうとして、幸福にしようとして、素晴らしい仕事を成し遂げていく人のところには、富が集まってきます。
そして、その富は、死ぬことなく、その人が生きている間に、他のさまざまな有用な活動を生み出して、二倍にも三倍にも十倍にも百倍にも使われるようになっていきます。それが、成功者に共通したスタイルではないかと思います。
例えば、国家には税金というものがあり、よく多く収入をあげた者から一定の割合で税金を集め、それを公共投資や福祉などの使っています。私は、「それ自体は素晴らしいことである。『利益をあげた個人から税金を取り、それを恵まれないところに配分する』という、富の再配分は、近代福祉国家が成立する上で不可欠のことである」と思います。
ただ、その際に、ともすれば、智慧が十分に働かず、「機械的にのみ税を集め、それを分配する」ということが多くなっています。これは、近年、官僚制の弊害として指摘されているところです。
しかし、もし、そこに、有力な起業家や優れた経営者がいたとしたら、どうなるでしょうか。その人は、自分の下(もと)に集まった富を、智慧と才能を用いて、最も世の中の役に立つことのために使っていくことでしょう。そうすることによって、社会はますます発展し、その社会の発展が、その人の事業をも発展させる力となることでしょう。
例えば、近年の日本には松下幸之助という人がいました。彼自身は、富の恩恵を非常に受けた人でしたが、何よりも、「その富を社会的有用性のために使いえた」ということが大きいのではないでしょうか。
また、アメリカでは、アンドリュー・カーネギーという人が、今から百年前に、こうした富の使い方を研究し、それを発表することによって、世の中に多大なる恩恵をもたらしました。
正しき富の使い方を知ってください。その見本が松下幸之助、アンドリュー・カーネギーです。お二人のようには、なかなかいきませんが、富という正しい使い方を政府に求めます。現在の日本のバラマキ政治が果たして、本当の意味で多くの人々を幸福にするでしょうか。単に票を獲得するためのバラマキです。恥ずかしい限りの日本の政治です。