何か新しいことを始めて、三日ぐらいでやめてしまう人はたくさんいます。

「三日、三月(みつき)、三年、三十年」とも言われますが、「三日を超えて続けられたら、次は、三月、続けられるかどうか。三月を過ぎたら、次は、三年、続けられるかどうか、三年を過ぎたら、次は、三十年、続けられるかどうか」ということがあります。

 三年ぐらい続くと、能力的、技術的に、そこそこのものが身についてきます。三日や三月では、まだそれほどでもありませんが、三年ぐらい続けると、まったくやったことのない人とは明らかに違いが出て、かなり差がついてきます。

 三年、続けられたら、次は、三十年、頑張るわけです。三十年、一つの道を歩みつづけると、亀のような自分であったとしても、気がつけば、遠い遠い所まで行っているものです。なかなか三十年も続くものではないですが、三十年、グーッとやりつづけると、意外な所まで行っているものです。

 急角度で上がっていった人は、「上に上がったあと、落ちている」という状態になっていることが、わりにあります。

 一方、三日、三月、三年、三十年と長く続け、延々と頑張りつづけると、意外に遠い所まで行きます。

「長く頑張りつづける」ということを考えた場合、あまり角度が大きい過ぎないほうが、かえってよいと言えます。急角度で短期間に成功すると、あとが続かず、はかないことが多くて、その後、二度と上に戻ってこないことも多いのですが、角度が小さいと、けっこう長く続くことがあります。

 そのような見方をする人は、よく、出世の条件として、「運(うん)・鈍(どん)・根(こん)」ということを挙げます。出世をするためには「運」も要るけれども、「鈍」、鈍重さ、鈍感さ、鈍(にぶ)さもなければいけないし、「根」、根気、根性も要るということです。

「運」については、結果論なので、何とも言えませんが、「鈍」の人が出世するというのは分かるような気がします。結局、鈍い人、鈍感な人、鋭利な刃物のようではない人のほうが、けっこう長く続きます。「根」、根気、根性のある人もそうです。

 人生の成功の方程式を見ると、鈍感であること、鈍重であることや、根気があること、根性があることも、大きな力になります。