宗教においては、お金に否定的な面がかなりあります。

 キリスト教では、「金持ちが天国に入るのは難しい」ということが言われるので、旧いキリスト教を信じている人のなかには、お金に対してアレルギーを持っている人もいます。

 原始仏教においても、そういう面は少しあって、次のような説話が遺っています。

 釈尊とその弟子が山道を歩いていくと、お金が落ちていました。

 それを見た釈尊は、「ここに毒蛇がいる」と言ったのです。それを聞いた弟子も、「ほんとうに毒蛇です」と言いました。

 そして、釈尊たちは、そこを通り過ぎていきました。

 そのとき、釈尊たちの会話を聴いていて、「どうして、お金が毒蛇なのだろう」と思い、そのお金を拾って自分のものにした人がいました。ところが、その人は、そのことで罪人になってしまったのです。これは、「お金で身を滅ぼす」という話です。

 このように、宗教には、お金に対する戒めがあることが多いです。

「不正なお金、すなわち、泥棒をして得たお金、横領や詐欺で得たお金などが身を滅ぼす」ということは、法則のようなものであり、二千五百年前も現在も同じです。

 不正なお金で身を滅ぼす人が多く、お金欲しさのために泥棒に入ったりして将来を駄目にする人もいるので、宗教は「お金は怖いですよ」と教えているわけです。

 もう一つ、不正なお金ではなくても、自分で働いて稼いだものではないお金も、身を滅ぼすもとになります。

 例えば、「親の遺産が転がり込んできた」という場合です。こういう時に冷静に判断できる人は少ないと思います。自分で稼いだものではないお金は、一種の泡銭(あぶくぜに)なので、パーッと使ってしまうことがあります。そして、生活のレベルが上がって派手になり、以後、元のレベルに落とせなくなって、破滅することがよくあります。

 その意味では、「人が死ぬと、何千万円も何億円ももらえる」という生命保険は、便利なようでありながら、少し怖い面も持っています。

 もちろん、「万一のときに家族を養うため」という気持ちで保険をかけることには、良い面もあり、交通事故に遭ったりした緊急のときには、ありがたい面もあります。

 しかし、「人が死ぬと、お金がもらえる」という思想には怖いところもあり、保険をかけられて殺される人もいるわけです。そういうお金で収入を得る人も世の中には出てきます。

 あるいは、宝くじで一億円が当たって人生を誤る人もいます。人がたかってきて、奢ったりしているうちに、だんだんおかしくなって、勤勉に働くことができなくなることもあります。

 このように、自分で稼いだものではないお金が入ったきた場合には、道を誤ることが多いものです。不正なお金や、働いて稼いだものではないお金が急に入ってきた場合は、ラッキーなようにも見えますが、用心したほうがよいと思います。