行政書士を開業して、お仕事を頂戴し、無事に仕事も完了させた後、請求書を書く時に非常に悩みました。特に最初頃は、頂戴したお仕事の値段をいくらにしたらよいのか、何回も書き直した事を覚えています。いくらぐらいが妥当な値段なのか、全く分からない状態で請求書を書いたものです。私と同じ経験をされた行政書士の先生もいらっしゃるかもしれません。また、違う商売、会社経営者でも、あるのではないでしょうか。適正価格をいくらにしたら良いのか、悩む時があると思います。
しばらく、そんな状態の日々が続きましたが、ある日、次のように考えて請求書を書くことにしました。自分が動いた分、一生懸命に働いた分を請求書に表現すれば良いのだと。それ以来、悩む事なく請求書を書く事ができました。
後日談ですが、その時に参考になるのが、松下幸之助さんの「人を活かす経営(PHP研究所)」の書籍でした。その中に「信用の道、商売の道」というタイトルで、松下さんが初めて東京へ「二灯用差し込みプラグ」を売り込みに行かれた話が書かれています。私の場合と、内容は違いますが、根底にある考え方は一緒だと思います。
松下さんは、初めて訪問した問屋さんで、持ってきた商品を見てもらった。
「いかがでしょうか。売っていただいきたいのですが」
「これを君、いくらで売るのかね」
「これは原価が二十銭かかっています。それで、これは二十五銭で買っていただきたいのです」
「二十五銭か。それなら別に高くない。高くはないけれども、君は東京で初めて売り出すのだね。それではやはり少しは勉強しなければならない。二十三銭にしたまえ」
松下さんは、初めて東京に売り込みにきたことでもあるし、また東京での販路を、ぜひとも開拓したいと考えていらっしゃったので、この問屋さんの要望にこたえようと思われた。しかし、そうさせない何かが働いて、次のように答えられました。
「原価は二十銭ですから、二十三銭にできないことはありません。しかし、ご主人、この商品は私を含めて従業員が本当に朝から晩まで熱心に働いてつくったものです。原価も決して高くついていません。むしろ世間一般にくらべれば相当安いはずです。ですから、二十五銭という価格も決して高くない、むしろ、安いと思うのです。
もちろん、ご主人が見られて、この商品は値段が高いから売れないだろうと考えられるのであれば、それは仕方ありません。しかし、そうではなくて、これで売れると思われるのであれば、どうかこの値段でお買い上げてください」
「それは君、もちろんこの値段は高くはない。だから、これで十分売れると思う。よしわかった、それでいいから買うことにしよう」
そういうことで、買ってくださるところもあれば、反対に買ってはくださらないところもありました。しかし、全体としては、ある程度の成果はあがったと書かれています。
そういうことを毎月一回くり返していくうちに、東京の問屋さんの間で、松下さんのことが話題に出るようになったらしいです。
「大阪の松下というところは、なかなかいい品物をつくる。そして値段もそこそこの値段である。しかし、彼の特徴は、なかなか値段を負けないことだ」
「そうそう。たしかにそうだ。松下はなかなか値を負けない。大体において一定の値を通しているようだ。だから買う方としては安心して買える」
このような会話が、問屋さんの集まりなどでかわされるようになりました。つまり、初めは値段を高くつけておいて、値切られたら負けて安くするということであれば、買う方としては、いくらで買うのが適切なのかわかりにくい。自分は高く買わされたのではないか、もっと安く買っているところもあるのではないか、ということで安心できにくいというです。
ところが、初めから適切妥当な値をつけておいて、値切られても負けないということであれば、買う方としてはいつでも安心して買えます。もちろん、その値段が高いと思えば買わないことになります。それだけのことです。だから値段をつける方は慎重になります。高い値はつけられない。あらゆる点から考えて、適切妥当な値段を追求して、それをつけて売らなければならない。そうすると、それで売れます。
問屋さんとしては、従来とは違った、安心のできる行き方であるから、おおむね歓迎です。そこに信頼感が生まれ、信用というものもいただけるようになりました。こういうところにも、一つの商売の道があるのではなかろうかと結ばれています。
なかなか、松下さんのような考え方、徹し方はできないものですね。