みなさんは、「肉体は自分の自由にならない」と思っているかもしれません。しかし、体のなかは工場のようなものであって、みなさんは、全く意識していないにも関わらず、無意識下で、常にいろいろなものをつくっています。
例えば、意識して血液をつくっている人がいるでしょうか。「今日は、意識して血液を一リットルつくった」という人がいたら、驚くべきことです。血液は勝手にできてくるものです。
また、女性が結婚して子供を産み、赤ちゃんを育て始めると、母乳が出るようになります。これは血液が変化したもののようですが、誰が、一リットルの血液を一リットルのミルクに変換できる機械をつくれる人がいるでしょうか。もしいたら、お目にかかりたいと思います。
これができたら、おそらく奇跡に見えるでしょう。「血液がミルクに変わる」ということは奇跡に近い。体の中で、まるで奇跡のようなことが起きているのですが、こういうことのために何か巨大な努力を要しているでしょうか。そうではありません。母乳は無意志下でつくられています。
体というものは、まことに不思議です。なぜ、赤いものが白くなり、赤ちゃんにとってちょうどよい具合になって出てくるのでしょうか。母乳には、赤ちゃんが病気をしないように、免疫がつくような物質まで含まれています。
そのために母親が特別な努力をしているわけではありません。もちろん、食べる努力はしています。母親は、ゆっくり休んで、食べたりはしていますが、母親は、つくろうとしてつくれるものではありません。
母乳の原材料として、栄養になる食べ物を摂ることは、表面意識でできる努力です。しかし、血液が母乳に変わる部分については、表面意識的な力によるわけではありません。
これについては、「そのように恵まれている。神様、仏様の恩寵を受けて、そのようになっている。毎日、奇跡が起きている」と思わざるを得ません。
もっと前の段階で言えば、赤ちゃんが生まれることだって奇跡です。
母親たちは、みな、「赤ちゃんは自分が産んだ」と言うでしょう。しかし、何だか分からないうちに子供の体は出来上がり、やがて人間として生まれてきます。
もし、生まれてきたものがトカゲやヘビのようなものだったら、あるいは恐竜の子供だったら、大変なことになります。しかし、人間として生まれてきてくれるのですから、まことにありがたい話です。体というものは、本当は奇跡に満ち満ちています。