私は32歳で行政書士を開業しました。最初の3年間は自宅事務所でしたので、妻が作ってくれる家庭料理を毎日食べていましたので、花粉症のかけらもありませんでした。
その後、得意先も増えてきて、35歳の時に事務所を大阪市内に移しました。通勤時間が40分程度の所でした。仕事量も増えてきましたが、まだスタッフを雇えるほどもなく、一馬力で、夜遅くまで仕事をしていました。忙しい時期は終電車の毎日でした。
妻は、朝10時から夕方3時頃まで、事務所の仕事を手伝ってくれていました。昼間は得意先回りもあり、事務所内の仕事は、妻が帰宅する3時頃から始めることが多くなりました。
妻は、いつも私がお腹がすくだろうと思って、菓子類等を買って冷蔵庫に入れてくれていました。若い私は、4時頃になると腹がすくので、いつもその菓子類を食べていました。もともと口が卑しいものですから、あっという間に一袋の菓子を平らげてしまいます。健康のためには、近所の食堂でソバかうどんを食べていた方が良いことは、頭の中では分かっていましたが、妻が帰宅した後の事務所内は自分1人だけですので、留守にもできず、ついつい菓子類に手が伸びてしまい、本当に腹いっぱ菓子類を食べていました。
このような毎日が、35歳から45歳頃まで続きました。40歳過ぎ頃から「くしゃみ」や「鼻水」が頻繁に出るようになってきました。私の場合は、春先の花粉症の時期だけでなく、年がら年中、くしゃみと鼻水の連続です。ティシュペーパーを横に置いて、仕事をする日々が続きました。寝ても覚めても、くしゃみと鼻水です。目もくしゃくしゃのよう状態で辛い毎日でした。
その当時の私は、自分の体の事など考えたこともありませんし、健康についても全く無頓着でした。魚、肉、野菜、ごはん、パン、菓子類でも何でも、お腹に入れば同じだと考えていて、全く気にしていませんでした。しかし、くしゃみと鼻水の連続で、みじめな自分にやっと気づき始めたのが、45歳ぐらいでした。私の体は、完全にアレルギー体質になってしまっていたわけです。
その時から、少しだけ食べる物に気をつけるように心がけました。漢方の本や健康の本を何冊か読むうちに、自分の食生活に問題がある事を始めて認識しました。それでも、元来の甘党で、菓子類や羊羹を食べる習慣は、止まりません。できるだけ豆腐や根野菜などを積極的に食べるように実践しました。それでも相変わらず、くしゃみと鼻水の連続でした。
そんな時に出会ったのが、進藤義晴先生の「万病を治す冷えとり健康方(農文協)」という書籍でした。体内の毒素を出してくれる「半身浴」の勧めと、「5本指の靴下」でした。これなら自分でも実践できると思い、半身浴を始めたのが46歳頃です。10年間、欠かさず続けました。途中、半身浴をしない時期もありましたが、現在は再開しています。
進藤先生の本に書かれている通り、素直に半身浴を実践しました。瞑眩(めんげん)効果も体現しました。瞑眩効果については、別の記事を参照なさってください。また、体内の毒素を出してくれる「5本指の靴下」も実践しました。これは現在も続けていますので、30年近く続けていることになります。
半身浴と5本指の靴下を実践し始めると、私のくしゃみと鼻水の連続が、間隔をおいて止まるようになってきました。それと、食べる物もできるだけアレルギー体質を改善する豆腐や根野菜を多く取るようにしました。また、55歳頃から始めた缶入の「青汁」を毎朝欠かさずに飲んでいます。現在も続けていますので、約19年間続けています。これらの相乗効果で私のくしゃみと鼻水が、目を見張るように緩和されてきました。
体質を良いように変えるには、体質が悪化していった年数と同じ年数がかかると言われています。私の場合も50歳過ぎ頃には、花粉症は完治していませんでしたが、かなり良くなってきました。花粉症がほぼ完治したのは、55歳頃でした。少なくとも年がら年中のくしゃみと鼻水は完全に止まりました。しかし、春先の花粉時には、少しですが鼻水が出る程度でした。
60歳頃からは、春先の花粉時でも、目のくしゃくしゃや鼻水が出なくなりました。
令和6年5月で74歳になりますが、健康そのものです。やはり、毎日、口にする食べ物が自分の体質を創るのだと、改めて痛感しました。
皆様も花粉症を治すには、体内の毒素を出してくれる半身浴と5本指の靴下をお勧めします。それと青汁も良いですね。自分が体現している事ですから、自信をもってお勧めできます。ぜひ、実行なさってください。