1.多くの会社は、所有と経営が一致している

現在、日本には約250万社の株式会社があります。そのうち上場会社は約3,550社ですから、その殆ど97%が非上場会社です。また、一口に上場会社といっても、株式所有構造や企業規模の観点から千差万別です。

上場会社には不特定多数の株主がいることが必要条件ですが、過半数の議決権を保有する支配株主ないし実質的な経営権を有する大株主が存在する上場会社は珍しくありません。日本には、親会社を有する上場子会社や、創業家が大株主として影響力を維持しているファミリー企業が数多く存在しています。分散した株式所有構造を前提に大株主でない経営者が経営を行っている典型的な上場企業は、全体の3分の1程度しかありません。

上記のことから、殆どの会社は株主イコール経営者であり、所有と経営は一致しています。所有と経営の分離を前提とした株式会社制度の規定の多くが無用になっています。たとえば、年1回の株主総会を必ず開かなくてはいけないとか、株主総会とは別に取締役会を開かなくてはいけないとか、株主の権利を保護するとか、会社法には、様々な規定があります。

実際、殆どの非上場会社では、株主総会は開かれていません。あるいは取締役会も開いたことがないかもしれません。ただ議事録だけ作文するというような会社が非常に多いのです。会社の中で内部紛争が生じたような場合には、少数派となった株主がそのような会社法違反を攻撃して、殆ど無益な訴訟を数多く裁判所に提起するという現象もみられます。

 

2.株主の責任と役員の責任が一致している

会社法では、株主の責任は、その有する株式の引受価額を限度とする「有限責任」とされています(会社法104条)。株主は出資をして株主たる地位を取得するわけですが、会社の取引先などに対する責任をいっさい負わず、会社が倒産するなどして活動ができなくなったとしても、出資した金員が返還されないだけです。これは、所有と経営が完全に分離されている時の話です。また株主責任としては、企業が問題を起こした場合に、減資、既存株主に不利な形での増資など、株主としての権利の喪失や株価の下落といった形で経済的な責任をとるというケースがあります。その例としては、日本航空の100%減資がありました。

一方、取締役をはじめ役員には数多くの責任を課しています。例えば、取締役の義務と責任には、①任務懈怠責任、②株主の権利行使に対する利益供与についての責任、③出資財産等の価額填補責任、④剰余金の配当等に関する責任、⑤株式買取請求に応じて株式を取得した場合の責任、⑥自己株式の取得や定時配当以外の配当を行った場合の責任、⑦第三者に対する責任などがあります。

株主はお金を出す範囲での責任であり、役員は善良なる管理者の注意義務も含め、不正行為に対する賠償責任や種々の責任があり、会社法は実によくできた制度だと思いますが、所有と経営が一致している会社には、株主も同じように多くの責任がかかってきます。

多くの会社は、所有と経営が一致しており、倒産した時にも、代表取締役は銀行等に個人保証もしていますので、法人・個人の両方の命を銀行やその他の債権者に預けていることになり、株主といえども、経営者と同一人ですから、債務を負う責任はいつも背負っていることになります。法人・個人の両方の破産をしない限り、その債権から逃れることができません。会社法が予定している所有と経営の分離は、多くの会社に当てはまらないことになります。

会社法でいう、「会社は株主のもの」という考え方は、現実の世界では、機能していなくて、責任を取らされるのは役員であり、また株主でもあります。そのように考えると、会社はいったい誰のものという多くの疑問がわいてきます。

 

3.会社をめぐる利害関係人と法律

株式会社の組織を考える場合には、基本的には経営者と株主を考えています。現実には、株主だけではなく、銀行、仕入先、外注先、販売先、従業員とその家族、証券会社、提携会社、親会社、子会社など多数です。税金を納めている国や地方公共団体も利害関係人です。

今日では、環境問題や文化的活動、さらには政治的活動を通じて、企業が地域コミュニティや社会全体に貢献していこうという動きが見られます。その意味では、企業と直接には契約関係で結ばれていない人々も、広い意味での企業の利害関係人となることもありえます。

以上のように、企業をめぐる利害関係人は様々です。その間の利害対立を調整するために、多くの法が用意されています。その中で会社法は、主として、経営者と株主との役割分担、株主と会社債権者および株主間の利害の調整を行うことを目的としています。投資者保護を目的とした金融商品取引法も、情報開示に関しては上場会社にとっては会社法の一部と考えることもできるでしょう。

従業員の権利を保護する労働法、企業が破綻すれば倒産処理法、企業活動に実質的な影響を与える独占禁止法、経営者や株主に影響を与える税法など、いろんな法律が絡んでいます。

会社をめぐる利害関係人は、重要な位置づけを持っており、株主だけにとどまらず、会社は様々な人々と関係しています。

 

4.会社はみんなのもの

大会社のように所有と経営が分離していようが、中小零細企業のように、所有と経営が一致していようが、会社はみんなのものです。私も会社を経営していますので、「会社は俺のもの」と言いたいですが、それは間違いです。やはり、会社はみんなのものです。会社は株主のものであり、代表取締役のものであり、取締役のものであり、そこに働く従業員や家族のものであり、一部、債権者のものであるといえないこともありません。

結局、会社はみんなのものといえそうです。これだけ多くの利害関係人に責任を持たなければならない会社は、誰のものとは言えなくなってきます。言葉を換えれば公のものとなります。公の器みたいなものです。大企業だけが公器ではありません。一人親方の個人企業も公器になります。その親方の家族、その取引先、銀行、下請先の家族まで含めて考えれば、やはり零細企業といえども公器の部分は存在します。大きくなればなるほど、その公の部分が大きくなり、ますます公器さは増してきます。利害関係人は、世界中の大人から子供までです。

ゆえに会社法が予定している会社は、株主のものとは一概に言えないと考えます。会社は公器であり、みんなのものであると思います。

 

 

5.会社はみんなものであるからこそ、会社法等の法律を守る必要がある

会社はみんなのものであるからこそ、逆に会社法を守らなければならいと考えますし、会社法の不備や欠点を是正していかなければならないと思います。それには、もっと、透明性のある株式会社を形成していく必要があり、日本国内は言うに及ばす、海外からも信用される株式会社制度になる必要があります。

もちろん、それは大企業に限らず、中小零細企業も含めて、会社法をはじめとする様々な法律を守って会社経営することが、法治国家である以上、遵守する必要があります。それがリーガルマインドを養うことになると思います。

しかしながら、東芝の粉飾決算等をはじめとする不祥事が多く起きています。そのたびに会社法の改正やコーポレートガバナンス・コード等が施行されていますが、不祥事は減っていません。これは、ルールや仕組みの問題を超えたところにあるように思います。東芝の事件で思い出すのは、古い話で恐縮ですが、土光敏夫氏です。当時の腐りきった経営陣を一掃され、東芝を再建された。その東芝がまた不祥事を起こしています。トップが変われば、会社は変わる。いくら法律があっても、その社長のマインド(魂)が腐っていれば、その法律も機能しなくなります。リーガルマインドという言葉だけでは答えが出ないように思います

やはり、法律ばかり改正しても、次から次へ新しい法律を制定しても、国民を混乱させるだけです。仕組みやルールも大切ですが、その中に魂(心)がなければ、良い会社経営ができません。

コンプライアンスという言葉が世の中に出て久しいですが、一向によくなりません。再度述べますが、法律を超えたところに問題がありそうです。それを国民みんなで考えていく必要がありそうです。法律専門家、学者、裁判所、学生、政治家、大阪のおばちゃん、みんなで考えていかなければなりません。ある意味、法律を超えた、心の問題であり、宗教の問題になるかもしれません。

その会社を経営する者、経営担当者、そこに従事している従業員と家族、取引先や銀行の従業員と家族、会社に関係する人々の命がかかっています。やはり、みんな責任があり、みんなが法律を守る必要があり、みんなが参加している会社だから、会社は、みんなのものであり、公器だと考えました。