仕事は「厳しい」ものです。

 上司の「人の善し悪し」に関係なく、「厳しさ」を含んでいます。人の優しさと、仕事へのい厳しさは違います。どのように違うのか、「幸之助論」に書かれていました。

 ジョン・P・コッター著の「幸之助論(ダイヤモンド社)」の中に、面白いエピソードが紹介されていました。それは、松下幸之助氏が、晩年、何人かの幹部を招き、昼食会を開いたときの話です。

 料理としてステーキが出たのですが、当時、すでに八十歳を過ぎていた松下幸之助氏は、全部を食べることができず、半分残しました。そして、食べ終わったとき、これを調理したコックを呼んできてほしいと頼んだそうです。「店長ではなく、コック長のほうだ」と念を押すので、頼まれた人は「何を言うのだろう」と思い、恐る恐るコックを呼んでくると、松下幸之助氏は次のように話したといいます。

「ステーキを半分残したけれど、味が悪かったからではありません。とてもおいしかったです。私は、もう八十歳を過ぎ、全部食べられるほどの体ではないので、半分残したわけです。何も言わずに、これを返したら、『味がお気に召さなかったんだな』と、ショックを受けるかもしれないと思い、あなたを呼んでもらったのです」

 昼食会に招かれていたある幹部は、このやり取りを見て、「幸之助さんは、聖人のような人だ」と感心したといいます。

 さらには、その幹部が五年後に経験した話も載っていました。

 当時、その幹部が担当していた事業部が赤字を出していました。そこに、相談役の松下氏が来て、「売上が一千億円もあって赤字とは何事か。こんな経営は絶対に許せん」と、顔を真っ赤にして怒られたそうです。ステーキを半分残し、「気を悪くしないように」と言っていた人とは、もう別人です。

 そのとき、その事業部は、本社から二百億円の融資を受けて、急場を凌ぐことになっていたのですが、松下氏は、「そんなことは許さん。一千億円も売上があって赤字を出すようでは、事業部長以下、経営幹部がなっていない。本社からの二百億円の融資は全部引き上げさせる。本社には絶対出させない」と言うわけです。

 そこで、「しかし、相談役、二百億円の融資が出なければ、社員の給料が払えなくなります」と言うと、松下氏は、「そのとおりだ。ただし、こんな経営はありえない。絶対駄目だ。それなら、会社を立て直す経営計画をつくれ。どうしたら黒字になるかをバシッと書いて、わしに持ってこい。そうすれば、銀行に『この再建計画は間違いないから融資してやってくれ』と書いてやろう。紹介状があれば、銀行は貸してくれるはずだ。本社からは金を出さない」と答えたのです。

 その幹部は、松下氏がものすごく怒っているのを見て、「これが、あのときの幸之助さんと同一人物か」と困惑したそうです。

 このように、松下幸之助氏は、個人的には非常に優しいところのある人でしたが、仕事に関しては、非常に厳しい面を持っていました。すなわち、「放漫経営をして、安易に赤字を出すことは許さない。考え方を変えれば、赤字を乗り越えられるのに、本社を頼り、本社から金を借り得ようとしている。そんな安易な考え方は許さない」と言って激怒するような、そういう二面性があったわけです。

 確かに、人間としては優しく、人に対しては親切であったほうがよいでしょう。ただ、仕事においては、やはり、「厳しさ」というものがなければ駄目です。これも、不況に打ち克つだめの教えだと思います。

 放漫経営につながるような脇の甘さ、例えば、無駄なコストや無駄な投資、間違った事業計画等に厳しくメスを入れ、修正しなければなりません。仕事において、こうした厳しさを持つと同時に、人間としては、人間味溢れる優しさを持つことが大事です。こうした相矛盾する性格を持っている人が、一般的には「徳がある」とされています。「両方において優しい」というのは駄目です。

「幸之助さんは、ステーキを半分残して『済まなかった』と言うような人だから、『これだけ赤字が出ました』と報告しても、『そうか、残念だったな。次回、頑張りなさい』と励ましてくれるだろう」と思うかもしれませんが、そんなことは言いません。「放漫経営は断固許さない」と言っているわけです。

 結局、彼は、「そんな甘い態度では駄目だ」ということを教えたかったのでしょう。こうした厳しさが人を育てる面もあります。