世の中で新しいことを生み出していくには、何が必要でしょうか。一般的には、「生まれつき天才的な才能に恵まれている」「インスピレーションやひらめきがある」などということが言われますし、実際、有名になった人には、そういうものがあるように見えます。
確かに、客観的に見て、才能やインスピレションなどが本当にあるのかもしれませんが、当の本人のほうは、そちらのほうにあまり重点を置いていないことが多いと思います。
分かりやすい例で言えば、プロ野球のイチロー氏がそうでしょう。現在なら大谷翔平氏が該当しますね。
イチロー氏を例にとりますと、「あなたは天才ですね」と言われて、おそらく素直に「はい。うれしいです」とは言わないと思います。むしろ、「自分がやってきた地道な努力を、十分に分かってくれているのかな」と感じることのほうが多いでしょう。「結果だけを見て言うのは簡単だか、『天才』とか『才能』とか、そういう一言で片付けてくれるな」と思うのではないでしょうか。
日本人が大リーグに行き、不滅の記録をつくるというのは、普通はありえないことです。その結果だけを見れば、イチロー氏は天才的な人だろうと思いますが、その陰には、きちんと積み上げてきた努力があります。
その努力は、まだ無名の少年時代、父親に連れられ、毎日バッテングセンターに通っていたころから始まっています。有名な選手になるずっと前、アマチュアの少年野球のレベルのときから、毎日バッテイングセンターに通うなど、日々練習を積み重ねていたのです。
また、イチロー氏は、「振り子打法」と言われる、独特の打ち方をしています。そのため、彼がまだ日本の球団にいたとき、ある打撃コーチからフォームを直すように指導されたところ、それを拒否して、二軍に落とされたことがあります。コーチのほうは、「二軍に落とせば変えるだろう」と思ったのかもしれませんが、イチロー氏のほうは、かたくなまでに変えませんでした。自分なりに努力を続け、「これだ」という確信を持っていたために、それにこだわったわけです。
要するに、「人と同じようにやればよい」というものではないのです。人には、それぞれ、自分にとって生き筋があります。イチロー氏はそれを知っていたので、自分の型を変えなかったのでしょう。
このように、天才というのは、あとから見れば確かに「天才」なのですが、それまでの間、自分なりの努力・精進をそうとうしているものです。
そして、最終的に「才能がある」「天才だ」などと言われるようになるのは、たいてい、自分の型をかたくなまでに守り、精進を続けたような人です。ほかの人のまねをせず、自分なりに「これぞ」と思ったものを究めていった人が、非凡の極みに至ることが多いわけです。
その裏には必ず「精進」「勤勉さ」があります。さらには、「人の意見をよく聞く」場合もありますが、「聞かずに押し通す信念を持っている」場合もあります。