私たちの意識には「顕在意識」と「潜在意識」の二つがあります。
顕在意識は「表面意識」と呼ばれ、潜在意識は「無意識」と呼ばれています。


 顕在意識は、普段、意識することができる部分です。
思考をしたり、物事を判断したり、何かを思い出すといった働きをしています。いわゆる五感と言われる、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるという感覚です。これらの感覚は、顕在意識によってコントロールされています。

 潜在意識は、普段、意識することができない部分です。
本当の気持ちや心の底から信じていることが潜んでいる場所です。
本能のままに行動する時に影響を及ぼしていて、自分でコントロールをすることができない部分です。

 簡単に、顕在意識と潜在意識の違いを述べましたが、一般的には、私たちが意識できている顕在意識の部分が3~5%、残りの95%以上が潜在意識と言われています。つまり、私たちの意識は、ほとんどは潜在意識に支配されていて、潜在意識が人生に大きな影響を与えていることが理解できます。



 ここで、潜在意識の特徴を述べます。
様々な本でも指摘されていることですが、重要なポイントになります。

 まず、潜在意識は「善と悪」の判断ができません。
良いことも悪いことも区別できませんから、良いことを思うと潜在意識に良い影響を与えます。悪いことを思えば、悪いことが潜在意識に浸透します。

 次に、潜在意識は「自分と他人」の判断ができません。
自分のことも他人のことも区別できませんから、心の中で思ったことは自分にも他人にも反映します。つまり、他人の悪口を言ったり、他人を憎んだりしますと、自分の潜在意識にも同じことを植え付けていることになります。
諺にあるとおり「人を呪わば穴二つ」です。人に害を与えようとすれば、やがて自分も害を受けるようになるということです。

 つまり、あなたの心を傷つけるようなことを言う人が出てきたら、反対に、その人のために祈り祝福してください。他人を祝福するのはとりもなおさず、あなた自身を祝福していることになるからです。
他人を憎悪する心は、あなた自身を憎悪していることと変わらないのです。これが潜在意識の真理です。



 ここで、潜在意識が「自分と他人」の判断ができないことと、仏教用語の「慈悲喜捨(じひきしゃ)」について述べてみたいと思います。

 慈悲喜捨の「慈」は、相手の幸福を願う心です。
「悲」は、相手の苦しみを除こうとする心です。
「慈」が相手の幸福を願う心であれば、「悲」のほうは苦しみを抜いてあげよう、除いてあげようと思う心ですが、これは同じことの両面でもあります。積極的か、その反対か。プラスを生もうとするか、マイナスのものを取り去ろうとするか。どちらも同じことの両面です。

 次に「喜」ですが、これは、相手が幸福になった姿を見て満足する心のことです。人が幸福になっている姿を見て、一緒になって喜んであげることを「喜」といいます。これは難しいことです。難しいけれども、人が幸福になっている姿を見て喜んであげることが大切です。


 最後は「捨」です。
捨てると書いてありますが、決してものを捨てるわけではありません。
「捨」というのは、人の幸福を見て、それに執われない心、要するに平静な心のことをいいます。「喜」は一緒になって喜んであげることでしたが、「捨」はそれに対して、喜んであげて、なおかつ自分はそれに執われない、心が乱れない、平静な心を持てるということです。

 例えば、ある人が新しいお店を開いて大成功したとします。
あるいは、ある方が起業されて一年で億単位の収入をあげたとします。
いちおう建前上は「ああ、よかったですね。一年でこんなに発展してよかったですね」と、花ぐらい持って来るところはありますが、帰り道で「一年ぐらいで、もうこんなに大きくなって、けしからん」と思ったとしたら、「捨」がないのです。こういうふうに喜んであげても、それを根に持つようではだめで、やはり心を平静に保つ必要があります。





 この「捨」のところですが、「幸福になっている人の姿を見て、自分がそれに対して嫉妬心を起こさなかったか。あるいは要領がいい人だと思わなかったか。生まれがよかっただけだとか、親が立派だっただけだとか、そんなことを思わなかったかどうか。自分のことを棚に上げて、他人の成功にけちをつける心がなかったどうか。喜んであげて、それでまったく執われない心でいられたどうか」を振り返ってみてください。

 このような思いは、潜在意識の「自分と他人」の判断できないことと関係し、重要な意識の持ち方を教えてくれています。「慈悲喜」まであって「捨」がないということは、イコール、自分自身に同じ思いを向けていることになります。
もっと言えば、自分自身で幸福への道を塞いでいることになります。

 潜在意識を正しく理解し、潜在意識と良い意味で仲良くなることが幸福への道です。また、仏教用語の慈悲喜捨も幸福への道標です。