父親は地元の農協に勤務しながら、土日には山畑でぶどう作りをしていました。それも往復2時間もかかる山頂近くにある畑です。標高280mの低い山ですが、家から頂上の山畑まで歩いて1時間。当時は山一面がぶどう畑でした。
ぶどう作りは、肥おき、薬かけ、芽欠き(めかき)、箱作り、収穫、つる切り、つる拾い等々、一年中休むことなく仕事があります。このような肉体労働と1時間の山登りと山下りをするから、父親は健康そのもので病気一つしない堅固な体の持主でした。
私も小学校入学前から父親の手伝いで、土曜日は昼から、日曜日は朝から畑仕事の手伝いです。約13年間ほど、往復2時間もかけて山登り山下りをしていたことになります。お陰で足腰も丈夫になり、小学校、中学校、高等学校も、一日も休むことなく皆勤賞でした。ぶどう作りの手伝いも、父親の背中を見ながら、文句一つ言わず真面目に過ごしました。地元の専業農家の子弟は、毎日、山登りをされているような状態ですから、友人知人も健康そのものでした。
今思うと、丈夫な体に育ててくれた父親に感謝せずにはいられません。その当時は、父親も私も意識はしていなったと思いますが、歩くこと、それも山登りが当然のことだと認識していたのでしょうね。その後、ぶどう作りもしなくなり、山登りもなくなりましたが、歩くことの大切さを考えたこともありませんでした。
ところで健康の本を読みますと、どの本にも歩くことの大切さを力説されています。
長尾和宏先生の「病気の9割は歩くだけで治る!(ヤマケイ文庫)」のまえがきに面白いことを書かれていました。
「医療というのは、本来、食事療法、運動療法があって、3番目に薬物療法がくるはずなのに、ここ数十年、薬がいちばん上になっています。それはいかがなものか。くすぶる想いが、ずっとありました」。「どうして医者は、こんなに薬を出すのだろうか」「薬を出すだけなら、コンピューターでもできるんじゃないか?」
「問診結果をもとに病名を割り出して、薬を選ぶということは、優秀なコンピューターなら自動的にできるかもしれません。もし薬を出すことが医療なら、医者なんかいらないのです」。
「その人の生活習慣を直すこと、生活習慣を直すためにアドバイスすることこそが、医者の仕事じゃないかと、まだ医学部に入る前から思っていました」。
私も長い間、全く同じように考えていました。言葉は悪いですが、医者のことを「検査結果見る人」と評していました。患者の顔を診ず、パソコンばかり見ている医者が多いように思います。また、聴診器もあてない医者も多いと聞いています。
面白いことに、この本は「ヤマケイ文庫」から出ていますが、最初、「ヤマイケ」と打ち間違って、思わず笑ってしまいました。「山行け」です。
長尾先生は、「現代人は、『歩こう!』と意識しなければ、歩けない。江戸時代の庶民は、現代人の6倍歩いていたから、健康で幸せだった」。「糖尿病人口は、950万人に。高血圧人口は、4000万人に。高脂血症人口は、2000万人に。認知症人口は460万人、予備軍も加えると900万人に。そして、毎年100万人が新たにがんにかかり、年間で37万人が、がんで命を落としている」。「現代病の大半は、歩かないことが原因だった」と書かれています。
長尾先生の本を拝読して、改めて「歩くこと」の大切さを教えてもらいました。今でも、我家の山畑はあり、青少年時代のように山畑に登ってきました。休憩すること数回。かなりしんどい思いをしました。やはり、一駅、二駅歩きが今の私には適しています。
いずれにせよ、運動のために、特に血流を良くするためには、歩くことが大切です。