原因結果の法則(縁起の理法)は必ず完結します。善因善果・悪因悪果の法則は必ず完結するようになっています。この世で完結しない場合は、あの世で完結するようになっています。

この世において、「努力しても報われなかった」ということもあるでしょう。その一方で、「努力しなかったのに非常に成功した」という人もいるかもしれません。それだけを見ると、非常に不公平であり、原因・結果の時間縁起が必ずしも働いていないようにも思います。

しかし、この世において縁起が完結しないからこそ、実は、この世を超えた実在の世界において縁起が完結しているという論理が、そこにあるわけです。

この世において、悪人が栄えるように見えることもあります。しかし、その繁栄は永遠のものではありません。それは必ず、大きな執着となって、来世の苦しみを生むことになります。

このように、この世において、必ずしも「善因善果・悪因悪果」になっておらず、その正反対に見えるようなことがあります。仏教では、これを「異熟(いじゅく)」といいます。

この世で、悪人が栄え、善人が滅ぶ。このような異熟が、いろんな場面で見られると思いますが、このような現象が起きるということ自体が、実は、縁起の理法がこの世で完結せず、来世まで行って初めて完結するということを意味しています。

「善因善果・悪因悪果」と「異熟(いじゅく)」の真の意味を知ることによって、人間は、強くもなれるし、本来の幸福も得ることができます。善人と悪人が混在する社会にあって、このような考え方をしっかりと持っていますと、誘惑に負けることなく、1本筋の通った人生を歩むことができます。