リルケ詩集の一篇です。
「だれが私に言えるだろう」。この一編が詩への目覚めでした。
20世紀ドイツの生んだ最高の詩人。その詩は近代人の孤独と不安を、たぐいまれな美しいことばで詠っています。生まれ故郷のプラハに根をおろすことなく、生涯をパリ、ロシア、イタリア、エジプトと放浪生活のうちに終えた方です。
高村光太郎賞を受賞された生野幸吉先生の翻訳もよかったのでしょう。当時、河出書房から記念出版された「リルケ詩集」。定価260円(記念特価200円)。
高校2年生の9月頃だったと思います。写真入りで1ページ目に描かれていた詩が、「だれが私に言えるだろう」。
世の中に、こんな美しいことばで、こんなやさしいことばで、自分の気持を表してくれ人がいるのです。張り付け状態になり、この詩だけは、若き時代の底辺の一部を築いてくれました。
みなさんは心揺さぶられるような詩に接したとき、「自分の現在の状況を詠っている人がいる。自分と同一の心情を詠っている人がいる」と感じ、ずいぶんと心が和むことがあるでしょう。優れた詩人は人生を透徹した目で見抜いています。そうした人の詩によって、人間の心は安らぐことがあります。
私も例外ではありませんでした。リルケ詩集によって、心が安らぎました。詩が違えど、私と同じような経験をされている方もいらっしゃると思います。
自分よりも深く人生を知っている人たちから見れば、自分の苦悩や困難の原因が一目瞭然である場合もあります。そのため、一篇冊の詩が手掛かりとなって問題が解決し、長く苦しまずにすむこともあります。
大いなる偉人や芸術家など、優れた人たちの叡智に学ぶことによって、それが自分の人生における水面下の部分となり、人生の波風に耐えていけることがあります。