昭和42年(1967年)に、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」という歌が流行りました。今は2024年ですから57年前です。「天国よいとこ一度はおいで、酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」と言う歌詞の一部を今でも思い出します。
天国は良いところだと思います。行ったことはありませんが、いずれ行くところかも知れません。本当は、昔、私も天国にいたと感じます。肉体ではなく魂(心)が天国で暮らしていました。証明するものは何もありませんが、天国は確実にあると信じている一人です。
今は、私の魂(心)は、肉体を持っている体の中に宿っています。いずれ、死ねば肉体から魂が抜けだして、天国に還ることができるでしょうか。私の場合は、ひょっとしたら、色情地獄に還るか分かりません。
この世での、生活態度や行いが良ければ天国に還れそうですが、反対の場合には、エンマ様に裁かれて地獄行きになるかも知れません。一生の間に、良い行いをしたり、良い想いを持ち続けていれば、元いた天国には還れるでしょう。もっと良い仕事をして、多くの人に感謝されるような愛深き人であったならば、もう少し上の天国に戻れるらしいです。
だから、天国に還れるか、還れないかは、一生の行いや想いで決まるということですね。果たして、どのような生き方をすれば、天国に還れるのでしょうか。
一般的には、天国は光り輝く世界だと言われています。常楽の世界とも言われ、常夏の世界、喜びの世界と言われることもあります。「仲の良い人たちが集まって、とても楽しく語り合っている」というのが天国の姿でしょう。
天国に住む人たちの特徴は、よく「天真爛漫」と言われます。飾り気がなく、生地のままで美しい心、そうした天真爛漫な心を持っていることが、天国の住人の条件と言えそうです。
また、「他の人に対して優しくしよう」という気持ちもあります。そして、「自分自身に対しても、いつも、良いことをしていこう」という気持ちを持っています。こうした発想の原点には、「他人に迷惑をかけず、周りに喜びを振りまきたい」という気持ちがあります。
言い換えるならば、「常に笑顔で生活できる人」ということでしょうか。しかも、それは飾りの笑顔ではなく、本心から出る笑顔だと思います。これが天国に住む条件ではないでしょうか。例えば、「自分の肩書や地位、名声を取り去ったとき、素直な笑顔を持って生きていけるかどうか」です。心を裸にして考えてみれば分かるのではないでしょうか。
もう一つの目安は、「多くの人に嫌われて生きたような人は天国にいない」と思います。天国には人に好かれるような人たちがいます。人に好かれるような人は、結局、多くの人を好いてきた人だと思います。多くの人を好きな人は、やはり人に好かれます。
ゆえに、天国に還りたいなら、笑顔を絶やさず、素直な心で生きていくことが大事になってきますね。また、多くの人に好かれ、多くの人を愛することができる人物になれば、天国に還れると思いますよ。