得意先のY社長から、軽運送業をされているT社長をご紹介いただきました。

 T社長のお仕事も終わり、T社長とお話する機会がありました。T社長は、紹介者のY社長の話を私にしてくださいました。

 T社長いわく「Y社長には、とても親切にしていただきました。私も今まで、いろんな方にお世話になってきましたが、Y社長のような方は、初めてです。まるで自分のことのように動いてくださいました。先生の事務所に伺う時も一緒に付いて来てくださいました。私の旧友を通じて、Y社長を紹介してもらったのですが、その時にも、一から十まで知らないことも教えてくださり、感謝しています。本当に謙虚な方で、偉そうにされているところがありません」

 T社長は、非常に喜んでいらっしゃいました。私も嬉しくなりました。

 Y社長にお世話になってから30年になります。Y社長のお人柄も多少なり知っています。全く、T社長のおっしゃるとおりの人物です。いつも謙虚でさわやかです。偉そうにされている姿を見たことがありません。いつも平静心そのものです。

 その後、Y社長とお話する機会があり尋ねてみました。

「いつもご自分の事のように、多くの方のお世話をされていますが、どうしてですか」

「そんなに多くの方のお世話はしていません。また、自分から積極的にお世話した事もありません。ただ頼まれ事は、その方に喜んでいただけるように努めています。それだけです。喜んでいただければ、それだけで幸せになれます」

「ありがとうございます。社長には教えられることばかりです」

 何かしてあげたから、お礼をもらうとか。見返りを期待して、お世話する話はよく聞きますが、Y社長には、そんなところが全くありません。Y社長とのお付き合いは長いですが、ここがY社長の素晴らしいところであり、私がいつも尊敬しているところです。多くの方は多少なりとも、「お礼を期待したり、見返りを求めるものです。私も若い頃は、同じような考えを持っていました。

 仏様の教えにこんな一説があります。

「愛は、ただ与えることに意味があります。愛は、見返りを求めたときに愛は死にます」

「何かよいことをしたとしても、同じだけの結果、あるいは、それ以上の結果を期待してなされたときには、その行為は必ず帳消しになります」

 なぜ、見返りを求めたらダメなのかと言えば、与えた愛は、与えた人のものになるからです。これが人間の心を貫く偉大な法則らしいです。

 偉大な人物についての話を数多く読むにつけても、そのとおりだと思います。そうした人々がなぜ偉大なのかと言えば、見返りを求めずに多くのものを与えたからです。与えきりの愛そのものです。その結果、与えたものがその人のものになったということでしょう。

 Y社長は、まさにこのような人物です。心の法則は素晴らしいです。潜在意識の真理です。仏様に感謝です。Y社長に感謝です。ありがとうございました。