「第二の人生」の生き方で、参考になる人物として伊能忠敬さんを思い出します。

 彼は、全国を歩いて測量し、日本地図を作った人物して有名です。

 伊能忠敬さんは、測量の仕事をするにあたり、数え年で51歳のときに勉強を開始しました。その仕事をするためには、数学や測量術、天文学などを学ばなければなりません。そこで、自分よりもはるか年下の先生について勉強しました。

 当時は、平均寿命が40歳ぐらいだった時代です。そのような時代に、彼は51歳にして、自分よりずっと年下の先生に入門し、天文学や測量術、数学的な計算などを勉強したわけです。そのことに対して、周りの人はあきれ返っていたようです。

 さらに、彼が日本全国の測量を開始したのは56歳のときです。72歳までの20年近くの間に全国をくまなく歩いて、日本地図を作成しました。

 当時はすべて歩いて測定していったわけですが、彼はどのようにして距離を測ったのでしょうか。実は、恐るべきことではありますが、自分の歩数によって距離を計算していました。

 意外なことに、巻尺やものさしのような道具だけでは正確に距離が測れないそうです。道路がでこぼこしていたり、山が傾斜していたりと、様々な凹凸があるため、器具で測ることができません。しかし、歩幅が決まっていれば、経験上、何歩歩いたかによって、ビシッと距離を出すことができるわけです。このようにして、まず距離を出し、次に、三角測量をすることによって、広さを算出していきました。

 人間の平均寿命が41歳だった時代に、「56歳で全国測量に出るなどということは、常道を逸しているし、途中で死ぬことは、ほぼ間違いない」と、99%の人は思っていたでしょう。また、家族が止めるのも当然だったでしょう。

 これは、ものすごいことです。現在、日本の平均寿命は、男性79.4歳、女性85.9歳ですが、その中間をとると83歳前後でしょうか。

 彼が勉強を始めた51歳という年齢は、当時の平均寿命である40歳の11年後になりますので、現代で言えば、94歳で天文学や測量の勉強を始め、その5年後の99歳で全国測量に出て、120歳近くまでに日本地図を完成させたことになります。現代に置きかえると、その困難度が分かります。

 もし、94歳から勉強を始め、99歳から全国測量に出なければならないとすれば、一般的には、途中で、のたれ死にしても無理はありません。しかし、それを成し遂げた人が現実にいたわけです。

 しかも、伝記を読むかぎり、彼は、幼いことから体が弱かったらしいです。そのため、周りの人からは、「あなたは、子どものころから体が弱く、病気がちだった。そういう軟弱な体なのだから、測量の仕事は無理だ」と、全国行脚をやめるように説得されました。そういう人が日本初の大地図を作り上げたわけです。

 これは、年配の方にとって、見逃さないエピソードです。すなわち、「人間は、年齢によって、能力が止まってしまうわけでもないし、行動力がなくなってしまうわけでもない」ということですね。

 彼の仕事を現代の年齢に置きかえると、「100歳で仕事を始め、120歳で完成する」ということになります。これは、かなり厳しいものがあります。

「生物学的に見て、人間は、本来、120歳まで生きられるようにできている」という説が強いですが、普通は、その前に、自己都合で亡くなるようです。それは、「自分は、仕事もないし、病気だし、お邪魔だし、早く死ななくてはならない」といった否定的な思いが出てきて、死に急ぐ人が多いからです。

 したがって、「年を取ってから打ち込めるもの」を作り出すか、それを見つけることです。要するに、何かに打ち込んだり、熱中したり、夢中になったりできるようなものを持つことが大事です。また、「新しい物事に関心を持つこと」も大切ですね。

 今までの自分の人生のなかで、「かつては関心を持っていたが、結局、やりそこねた」というようなものは数多くあるはずです。そこで、「ああ、あれをやりそこねていたな」というものを思い出し、もう一度、それに取り組んでください。きっと、寿命を伸ばせるはずです。