富の本質とは何でしょうか。それを一言で言えば、「多くの人々の役に立っている」ということでしょう。「多くの人々の役に立っている」ということは、逆に言えば、「多くの人々から感謝されている」ということです。

 要するに、「あなたの会社の仕事のおかげで、こんなに助かっています。本当に便利になりました。ありがとうございます」などと感謝されれば、その会社は儲かります。

 例えば、宅配便の登場によって、たいてい二十四時間以内に日本国中に荷物が届くようになり、ものすごく便利になりました。これは感謝されることでしょう。

 当時の郵便局は土日には荷物を配達しておらず、一年のうちに百日以上も休みがあるため、なかなか荷物が届きませんでした。

 また、荷物を発送しに郵便局へ持っていくと、「これは定型ではないから」と言って、突き返されることもありました。そうすると、家に戻って、荷造りをし直さねければなりません。私もそれを体験したことがありますが、こちらはお客様なのですから、腹が立ちます。

 郵便局で、「荷物の最大サイズは、縦がいくら、横がいくら、高さがいくらになっています」と言われても、郵便局に行くまでは、それが分からないわけです。「そうですか。このサイズでは駄目なのですか」と言い、荷物を家に持って帰り、もう一回、荷造りをしなくてはなりませんでしたが、やはり嫌なものです。

 そういうやり方ではなく、宅配便のように、「どんなサイズの物でもよいので、家まで取りに行き、お運びします。二十四時間以内に、きちんと届けます」と言われたら、やはり、ありがたいものです。

 したがって、それを行うところが儲かるのは当然でしょう。当たり前のことです。そして、同じようなサービスをする同業者が出てきたら、もちろん、よりサービスのよいところが儲かるわけです。

 富の本質といっても、それは、「より多くの人たちの役に立つ」ということでしょう。言葉を換えて言えば、「より多くの人たちから尊敬を受けること、あるいは感謝されることが、富の本質だと」ということです。

「多くの人たちから感謝される仕事をする」ということが富の本質とするならば、感謝される仕事をすることが悪いことではありません。

 昔の教えが富を否定しがちなのは、現代と時代が違うからです。今は、世の中の役に立つ仕事をすれば、感謝されて、お金も儲かるようになっています。

 したがって、「お金が全然儲からない」「お金が入ってこない」「売上が増えない」ということは、「大して世の中に奉仕していない」ということです。

 それは、「人々が、それほど感謝してくれておらず、人々のお役に立っていない」ということを意味しています。たとえ、「ご奉仕価格」と書いてあったとしても、それは別の話です。

 要するに、人々の役に立っていない仕事をしていても、収入は増えません。そして、経営状態が悪くなれば、いろいろと減量経営をしなくてはならなくなり、社員たちはリストラの対象になって、クビを切られたりします。

 富の本質とは、「多くの人々の役に立っている」「多くの人々から感謝される」ことがチェックポイントになります。