男性の場合、自分も含めて、他人を正しく見ていないことがあります。どう正しくないのかというと、先入観が入っているわけですね。
一番多い先入観は、「敵か味方か」という考え方です。人を見るときに、まず、「自分の敵か味方か」という基準で分類します。そして、敵として分類した人に対しては、さまざまなかたちで嫌がらせをしていきます。逆に、味方として分類した人とは、ゴルフやマージャンなどをして、仲良しクラブをつくっていきます。このように、男性は、まず、「自分にとって、有利な人か、不利な人か」ということを考えます。
さらに、自分が気に食わない人と仲のよい人についても、敵に分類して一線を引いてしまいます。「あいつには情報を漏らさないぞ」と思ったり、「彼は、こんなことをしていますよ」などと上司に言って、その人を蹴落とそうとしたりします。
正しく見るということで、男性が最も気をつけなければいけない点は、「この敵か味方か」という考え方でしょう。ここから間違いが始まります。
男性は、いったん、「敵」あるいは「自分にとって有害な人」という分類をしてしまうと、なかなか、その分類を変えようとしません。すぐに白黒を付けず、しばらくは可能性を持った灰色として眺めてみる必要がありますよ。
相手が、現在、そういう言動をし、そういう立場に立っていることには、たいてい、何らかの背景があります。それを理解せずに、「敵・味方」の分類をしてしまうことに問題があります。
そういう人は、実は、姿を変えた先生であることも多く、自分の心の反映である場合も、実際、数多くあります。
単に「敵・味方」として見るのではなく、一つの教材として、あるいは一人の先生として見ていくように努力しています。どのような人にも、自分にないものがあり、その意味で、勉強になることがたくさんあります。
世の中には、さまざまな人がいて、「トータルで、どういう人であるのか」ということは、なかなか分りかねます。しかし、敵か味方ではなく、相手のなかにあるよいものを、じっくりと見いだしていきましょう。
「よいものを見いだす」ということは、すでに、そのなかに、「学ぶ」ということを内包しています。