謙虚の大切さを教えていただいたのは、高校1年生の時です。当時の現代国語の森沢先生から教えていただきました。人間にとって大切なことは多々あるが、その中でも謙虚になることが非常に大切であると教えていただきました。

 それまでは、謙虚という言葉は知っていましたが、人間として「謙虚」に生きていくことが、とても大事なことであることを初めて知りました。以来、この謙虚という自身の戒めとして、また、自身のバイブルとして、謙虚さを心がけて来たつもりです。この謙虚さを思い出すだびに森沢先生のことが浮かんできます。森沢先生から、この謙虚さという大切な大切なことを教えていただきました。

 人間は往々にして傲慢になりがちですが、森沢先生のお陰で、謙虚さを知ることができました。その時は、おそらく謙虚さの本当の意味をつかんでいたとは言えませんが、森沢先生が「謙虚さ」を力説されたことだけは、昨日のことのように覚えています。

 私の人生にとって「謙虚さ」が、一つの転機だったとも言えます。その後、年齢を追うごとに謙虚さの重要性が、ますます大事であることが分かってきました。私自身は、謙虚さを語るほどの人間でありませんが、人間にとって重要な精神的態度や、精神的な考え方だと思っています。

 自分のことを棚にあげて、本当に謙虚な方は少ないように思います。

 謙虚さは、自分に求めるものであって、他人に対して、どうのこうの言うべきものではありませんが、ひとつだけ書かせていただきます。

 その謙虚さは、講演会の講演者の態度に自ずから現れます。昔、ある大学の女性教授の講演会に行った時の話です。前の席にいましたので、講演会が始める前から、その講演者の態度が気になって、いやな感じを持ったものです。

 その女性教授は、会場を見渡しながら、それは何とも表現のしようがないのですが、どんな聴衆が来ているのか、何とも言えない態度で聴衆を見ていました。一言で言うと、傲慢な態度で聴取を見ているのです。謙虚さのかけらも感じないぐらい傲慢な態度でした。

 この時に、あぁ、これが謙虚さのない人かと感じました。謙虚さがない態度は、その人から出てくるものだと、つくづく感じたものでした。その方の講演も聞かずに、会場を出てしまいましたが、傲慢な態度が体中から出ていた女性教授でした。

 その反対に、非常に謙虚な方の講演会は、気持ちが良いものです。話の内容もさることながら、講演者の謙虚な姿勢にほだされます。こういう謙虚な方の講演会に何度も接することができて、ますます、謙虚さというものを大事にするようになりました。

 稲盛和夫さんの著書に「経営」という書籍があります。すばらしいお話がたくさん書かれていますが、最後に「謙虚にして驕らず」という言葉で締めくくられています。さすが、稲盛和夫さんですね。