得意先である積算名人のA社長にしても、T社のさわやかな奥様にしても、従業員や下請さんに対する「愛の思い」が深いと感じます。愛の思いを、ずっと持ち続けていらっしゃいます。

 幾つかの成功談を読み、幾つかの成功学についての本を読むにつけても、愛ということに触れてあるものは、そう多くはないように感じます。その人が、本当に成功した人であるかどうかは、愛の思いを持ち続けることができたかどうかに、深くかかわっています。

「金銭的に大儲けをした」とか、「会社が大きくなった」とか、「地位が上がった」とかいうようなことだけをもって、「成功した」とは、とうてい思えません。「成功した」と言えるためには、そういう外面的な成長も必要でしょうが、その奥に、愛の思いが燃え続けているということが大切だと思います。愛なき成功は、本当の成功ではないでしょう。

 愛がない人には、本当の意味で、「人類を幸福にしていく」ということや、「他の人々を幸福にする」ということは、分からないと考えます。しかし、他の人を幸福にすることができなくて、いったい何の幸福でしょうか。何の成功でしょうか。自分一人が「成功した」と思っても、周りにいる人たちが悲しみに沈んでいたら、それが、いったい何の成功でしょうか。それで、どのような成果をあげたと言うのでしょうか。

 偉そうなことを書きましたが、愛の思いを持ち続けることは、とても大事なことだと考えています。そして、できうるならば、「愛の思いを持ち続けた」ということが何らかの感化力となって、多くの人々を教化できることが、素晴らしいことだと思います。繁栄発展されている会社を見るつけ、いつもそのように思っています。特に従業員が二百人を超える得意先のN社長は、見事に愛の思いを持ち続けられている方です。

 それでは、「愛の思い」とは、いったい何なのでしょうか。何をもって、愛の思いとするのでしょうか。

 愛の思いとは、まず、他人に対する限りない関心を示すことだと思います。

 成功者に共通している条件とは、「他人に対して限りない関心を抱き続けた」ということです。言い換えるならば、「人間について知ることのない人は、愛の思いが本物にならない」ということでしょう。愛の思いが本物になるためには、多くの人々への限りなき関心ということが、どうしても必要になってきます。

 愛の思いにとって、大事な点の二つ目は、自分自身への深い洞察力です。これは、非常に難しい問題でもありますが、私自身の課題の一つになっています。

 自分の内を深く深く見つめ、自分のなかに、本当に良いものを掘り出したことのある人でなければ、真実の愛というものは分からないのではないでしょうか。自分の心の奥を深く深く見つめながら、真実の愛、真実の自己というものに出会ったことがなければ、愛の思いは、おそらく分からないでしょう。真実の自己というものは、それほど大事なものです。この素晴らしいもの、素晴らしい自己に出会うことなくして、愛というものは分からないと思います。

「少なくとも、自分のなかに素晴らしいものを発見することができない人は、他の人のなかにそれを発見することも、また難しい」ということでしょう。

「自分のなかに、本当に素晴らしいものを見いだすことができる」という、それだけの力があり、それだけの優しい眼差しがあって、その優しい眼差しが他人へと向いていった時に初めて、それが愛の思いとなっていきます。N社長は、まさにこのような方です。

 愛の思いの三つ目は、「その愛を大きくしていこうと、常々、願っている」ということです。「愛のなかに発展の思いを抱く」ということです。

 小さなのもののなかに、いつもいつも満足していてはいけません。小さな自己満足や小さな善意だけでもって、「愛の思いを遂げられた」と思ってはいけません。「愛は、そのなかに発展を含むものだ」と考えています。頭で分かっていても、なかなか愛を膨らますことができませんが、これも私の最大課題です。

 このように、より素晴らしい自己を発見し続けること、また、人間関係においても、より素晴らしいものを次々とつくり出していくことが大事ですね。素晴らしい人間関係を見事に形成し、素晴らしい人間を数多く発見していくこと、素晴らしい人を育てていくこと、そして、その思いに決して限りがないことでしょう。

 またまた偉そうなことを書きましたが、人間にとって一番大事なことではないでしょうか。N社長とは三十年以上もお世話になっていますが、本当に素晴らしい人材を育てていらしゃいます。最近、関東方面にも進出されて、M&Aで従業員の数が三百人を超えました。まさに、愛の思いを実践されている方です。