絵になる街、イタリア。ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ、ナポリなど個性的な町が多くあります。まるでイタリアに行ってきたかのように書いていますが、イタリアに行ったことがありません。お許しください。

「ローマの休日」という映画が好きで、今でもローマの街が目に浮かびます。必ず行ってみたいと思っている国の一つです。現在は、古い建物の修復が、国家をあげて行われています。

 イタリアは、150年くらい前に統一国家なり、それまでは、都市の一つひとつが、政治的・経済的・文化的に「国家」のように独立していました。中央集権ではなく、地方分権が根強く残っていた街です。風土を活かした個性的で、コンパクトな古い街です。

 イタリア人は、古い街を保存しながら大切に使い、愛着を持って育てています。古い建物や街路、広場など、都市を構成するさまざまな空間を保存・修復・再生する努力が続けられており、街なかで修復工事中の現場が数多くあります。

 50年ほど前に、「チェントロ・ストリコ」という社会的取り組みが実施されました。歴史的地区とか歴史的都心部と翻訳されています。1960年に「歴史・芸術的地区の保護と再生」についての初会議が開催され、その結果、「歴史・芸術的都市保存全国会議」が誕生し、1968年にチェントロ・ストリコは、都市計画のなかに明確に位置づけられました。

 日本の建築士は、新築物件の設計等が豊富で、飯が食えるライセンスです。イタリアにも建築士がいますが、プロとして食べていける人は、ごく一握りです。新しい建物を設計する機会は、郊外の住宅や工場など、ごく限られています。大学や大学院を出て設計の仕事に就いても、ほとんど修復もしくは内装専門で、日本と対照的です。

 イタリアには、建築士以外に「修復士」という専門資格もあります。建築士より仕事があり、美術修復と建築修復に分かれます。先の「チェントロ・ストリコ」が浸透し、美術修復と建築修復の保存・修復・再生を繰り返されています。

 イタリアの街は、ある意味、修復士という専門工種で支えられていますね。国家あげての取り組みが、修復士を育てきた独自の街です。修復士の建築修復に関しては、日本の専門工種に似た面があります。日本にも修復士が、近い将来に誕生するかも知れません。日本にも昔から宮大工さんが活躍されていますので、宮大工さんがイタリアの修復士と同じような役目を果たされているようにも感じました。

 いずれにせよ、専門工種に徹することは、イタリアの修復士ではないですが、日本の文化遺産を残していく上でも、大切な職種だと考えます。