昔から大きな仕事を成し遂げた成功者といわれる人は、何度か失敗し、苦しい、つらい目に遭っています。最初から成功した人など一人もいません。
一度も失敗しないで成功した人など、世の中に一人もいません。

 成功者では、数多くの失敗のなかから、いろいろと学びとって、新しい方法を工夫し、挑戦を続けてきた人たちです。世界の大事業の大半は、もうこれで絶望かと思われたときも、なお仕事をやり続けた人々によって成し遂げられました。

 「私の現在が成功というなら、私の過去は、みんな失敗が土台づくりをしていることである。」本田宗一郎氏の言葉です。

 「誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで働く。
やはり、経営者自身が身をもって示すことが第一です。ああすればこうなるとか、こうすれば社員はどう動くかといった意図的なことに神経をつかうよりも、まず、自分が一心不乱にやることです。一心不乱にやる。
そうすると、周りもただ見ているばかりはいないものです。一心不乱という真剣な姿を見ていると、そこには必ず教えられるもの、心を動かされるものがでてきて、周りの人びとは、いちいち言わなくても手伝うし、働くようになる。」
松下幸之助氏の言葉が魂の底に響きます。

 「他人の百倍、千倍の汗を流し、智慧を出せば、いつでも、どこでも、ひとかどの大将になることができる。」政治家であり、ものすごい行動力を持った田中角栄氏の言葉です。

 失敗は成功の「もと」といわれるように、100回失敗すれば100回の成功の「もと」が得られます。トーマス・エジソンも最初の電球を作るまでには、1万回の実験を重ねたといわれます。エジソンの友人が、彼にこう尋ねました。「あなたは電球を作るまでに1万回も失敗したそうだね。」これに対してエジソンは答えました。「いや、私は一回だって失敗したことがない。ただ、9.999回のやり方を発見しただけだ。」

 絶望と挫折の末、16代アメリカ大領領になったリンカーンもしかり。
彼の伝記などを読むと、涙が止まりませんでした。勇気と深い愛がほとばしる。42歳までは、自分に悪意を向ける相手には、徹底的に負かしてしまわないと気がすまない彼の性格も、42歳を境にして、今まで自分を苦しめてきた相手にも温かい眼差しで接していきました。以後、けっして人を攻撃したり、責めたり、裁いたりしなかったといわれます。勇気ある行動の人であり、愛の人でもありました。

 情熱と勇気をもって、スタートしない者は決して成功者にはなれません。命を懸けて一つのことをやり遂げる、徹底した行動が求められます。ものすごいエネルギーと血のにじむような努力が必要です。
圧倒的な深い善念を持っていなければなりません。「圧倒的善念」を理屈ではなく、腑に落とし、魂で受けとめることです。

 大川隆法氏の「不動心」にこんな一説があります。
 「ほめてやったのに、私の悪口を言った。あれだけ引き立ててやったのに、私をないがしろにした。けしからんなどという気持は、まだ善念が足りないのです。よくしてあげたのだから、当然、向こうも私によくしてくれるはずだという思い込みがあるのです。
それは、自分自身の幸福感が、他人の評価によって左右されるほど小さいということです。相手に善意や幸福を与え、返してもらって、初めて満足できる程度の善意や幸福しか持っていないということです。しかし、自分にもっともっと善意があふれ、もっともっと幸福があふれていれば、その幸福感でもって、すべてを押し流していけるはずです。」まさに、リンカーンの境地ですね。

 新しい会社の行く手には、つらいこともあるでしょう。しんどいこともあるでしょう。経営には「一躍成功」というものはありません。刀が折れ、矢が尽きても、そこが正念場です。そこから這い上がり、「多くの同志の方々を幸福にする」というような経営理念なりミッションを練り上げてください。

 経営コンサルタントの一倉定氏も、「魂の入らない経営理念は意味がない。魂の入らない経営計画書はない方がマシだ。経営理念や経営計画書は、社長が魂を込めて、社長自身の言葉で書くことが最も重要である」と言っています。
 期待しております。