物事の考え方は様々です。いつも同じような立場から考えるのではなく、全く逆の立場から物事を考えることも必要ではないでしょうか。つまり、良い意味からの逆発想です。自分が、つまずきだと思い、失敗だと思ったことを、よい方面から捉え直してみることです。

 例えば、ある建設現場で一生懸命に働いていたにも関わらず、経験不足でミスをおかし、お客さんや会社に損害を与えたとしましょう。現場監督から大目玉をくらい、社長に言いつけられたとします。減俸になるかも知れません。へたしたら首になるかも知れません。これは、その人にとっては非常にショックでしょう。その人なりに努力していたにも関わらず、経験不足とは言え、不満や憤りが残るかもしれません。

 しかし、この時の考え方は幾つもあると思います。悲観的な考え方としては、「自分の経験不足で迷惑をかけてしまった。自分はなんてダメな人間なんだ」という考え方もあるかも知れません。この際に、幾つかの逆発想を考え抜くことです。

 一つには、「これは、自分がもっと経験を積んで、次の現場で取り戻せばよい。社長に許していただき、もっと良い仕事ができるようになろう」という考え方もできると思います。寛容な社長なら上手に戒めたあと、許してくれるかも知れません。

 二つ目の考え方としては、「自分に人生の厳しさを教え、豊かな経験を与えるために、こういう試練があったのである。本当にありがたいことであり、この機会にしっかりと努力しよう。そして、立派な現場監督になっていけるようにしよう」。

 三つ目としては、「監督に対して、不満や憤りを持つのは間違っている。素直に謝ろう。これは、自分が傲慢であり、うぬぼれている。これを機会に、謙虚な人生を歩んでいこう。謙虚に自分を見つめ、こつこつと努力していこう」というように考える人もいます。

 現場経験が浅い時は失敗もしますが、落ち込むのではなく、逆発想を考え抜き、よい方向にもっていきましょう。社長も現場監督も、若いときに、けっこう、いろいろと試練にあっている人が多いようです。そういう時こそ、自分の魂が磨かれている時です。

 これは、若い人についてだけ言えることはありません。中年の人にとっても、また、晩年に生きる人にとっても、同じことが言えると思います。

 例えば、65歳を過ぎて、自分の会社を定年退職する時期が来たとしましょう。「今さら、何の人生の希望があるか」と思うでしょう。そして、若い人を見ては、「あのように若ければ、何でもできたのに。こんな年齢になってしまったので、何もできない」と考えがちでしょう。

 しかし、これについても逆発想は可能でしょう。つまり、「65歳から青年をやって、何がいけないのか。定年退職したときこそ、第二の青年期の始まりである。青年がやるようなことをやってみたい」と、理想に燃えて生きるときに、その人は、本当に青年のごとく、はつらつとなると思います。「常に高い目標を掲げ、常に新たな目標を掲げて生きている人にとっては、年齢は関係ない」と言えるでしょう。私も74歳ですが青春中です。

 また、中堅どころのサラリーマンが、左遷をされたり、降格をされたりすることもあるでしょう。それは人生の試練のときではありますが、「こういう時こそ、自分をいちばん磨いてくれている時である」と考えても良いと思います。

 暇なセクションに回された時には、充電器だと思って、思い切り勉強することです。忙しいところに回されたならば、期待に応えるべく、一生懸命に頑張ってみるべきです。

 どのような立場に置かれても、そのなかから最高の人生を花咲かせていきましょう。考え方は、いかようにでも捉える事ができます。逆発想も経営の智慧であり、人生を歩んでいく上でも重要だと思います。